さゆらもゆらに水晶虹彩

時間と空間のむこうがわ……夢うつつのはざまに揺れて透かし見える水晶虹彩のものがたりをつむぎます。

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サイコ・ヒーラー 3 ピジョンブラッド

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3 ピジョンブラッド 

 アスタリスクいちめんにさまざまな宝石を惜しげもなく敷いたガーネットは、最後に結界の中心にハローキティの顔型の手鏡を置きました。さっき珠螺木のフロアで付け睫毛と化粧具合を直した鏡です。それはドミが彼女にくれたものなのでした。
(ドミニク…シーラといっしょに還って)
 とガーネットはスパンコールをちりばめた長い指先から、周囲の宝石の輝きをきらきらと反射させる〈鏡〉に向かって心のなかでささやきました。彼女はドミニクのイメージを心いっぱいに念じました。彼女がどこにいるのか、あちらがわへ飛んでしまったシーラは、ドミとコンタクトできたのか? 
 どんなヴィジョンが、他界からこのちいさな鏡をふくらませ、つらぬいて、ガーネットの心象に結ばれてくるのか。雑念を消して、ヒョウガの笛に揺られてからだを動かすのは、自分の肉体の枠を忘れるためなのでした。日常の限られた動作から、非日常の動作へ。からだの動きは心の動き。ふだんとはちがう心の力をひきだし、使うために、ダンスが必要なのです。
 吹き続けるうち、ヒョウガの次第に激しく高まる笛の音も、それから眼のさめるような緋色の衣装のひるがえる幻惑も、平板な日常の流れをつきぬけたところへとガーネットをいざなうのでした。
 暗がりの底にきらめく手鏡の小さな反映のなかに、虹色の小鳥の羽が無数に舞いあがるまぼろしがよぎったような気がしました。
「あ」
 とガーネットは、鏡の面にちらつく宝石の反映か、それとも小鳥の羽根か、を両手につかまえようと、ヒョウガの吹き鳴らす笛の旋律の緩急に合わせて、上昇していた意識の高みから下り、手鏡に身をかがめました。
 同時に、この地下スタジオ入り口の扉が音もなくひらきました。そこから階上の熱帯樹生い茂る珠螺木の風がどっと吹き込んできて、オブザーバーのタイジとジンさんは、思わずたちあがりました。
 ガーネットの手鏡の上にかざした手が、円盤のように炎えあがるのを、タイジははっきりと見ました。ジンさんも見ました。朱色の炎を摑んだように見えるガーネットは、ちっとも熱がらず、またその次の瞬間上空から流れ込んできた外部の風は、水流のような青黒い渦になって、ガーネットの裳裾にまといつくと、いきなりブワッと真上に向かってガーネットを押し上げようとするかのようでした。
「オオッ」
 と、どこまでもしぶとく下心を失わないジンさんは、仰天したタイジがうっかりジンさんから離れてしまったのを幸い、ガーネットに駆け寄らんばかりに四つんばいになって身を乗り出し
「ポルターガイストってこれ? 七年目の浮気だぜ。待てばガイストの日和アリ」
「ジンさんのそういうトコ好き」
 と絶叫したタイジは、そのままジンさんの脇腹を(怪我のないように)蹴り倒し、
「ゴメンネー」
といちおうは謝りながら、横転したジンさんを股いで、腰裳ごとぐらついたガーネットさんを抱きとめるために、アスタリスクのなかに走りこみました。
「あッ。来ちゃだめッ。集中力が消えちゃうから」
 とガーネットはタイジを制しましたが、吹き込んだ突風のせいで、おもいきり真横になぎ倒され、どすんとタイジの片腕に倒れかかります。ざらざらっと、宝石の小山を崩して小さな竜巻が床にいくつも巻き上がり、床に描かれた五芒星形の蛍光塗料が、目にもまばゆいプラチナ光を放ちはじめ、宝石の竜巻は、アスタリスクの作る立体光線を、七色のメリーゴーランドの馬みたいにちかちかと旋回し始めました。
「ドアしめてよっ、ジンさん」
「蹴飛ばしといて何言いやがる」
「つまづいただけだよ」
「うそつけ」
 ジンさんは嵐に紛れる大粒の雹か、あられのように顔や体にぶつかってくるいろんな宝石から顔を覆って床にひれ伏し、
「ピンポイントタイフーンでも来たんじゃないの?」
「ヒョウガ!」
 とまたタイジは叫びました。
 ヒョウガは、終始結跏趺坐のまま、悠々と笛を吹き続けています。抑揚を失わず、次第に音色は激しさを増していますが、半ば眼を閉じた彼の表情は、アジャンタの端正な仏像のように変わらず、ばりばり、めりめりと壁や調度にぶつかる異風にも気づかない様子です。おかしい、とタイジは抱えたガーネットを宝石の嵐からかばいながら、ヒョウガを見つめました。
 端座したまま黄金のフルートを構えたヒョウガ。極彩色の宝石の群れ飛ぶなかに、タイジは、笛の旋律とは異なる、澄んだ柔らかい小鳥たちの無数のさえずりを、はっきりと聴きました。すると、アスタリスクの青白い発光を顔の下から受けて、ライトアップされた石像のような少年の立体が、彼の周りの空間とは違う質感で凹面鏡のように歪み始めるのが見えました。
「なんだよっ」
 とタイジは、ガーネットの赤いスカートで涙の滲む眼をこすりました。宝石だか床ぼこりだか、とにかく室内の空気は砂塵のように乱れてすごかったのです。眼の錯覚か、とタイジは思いましたが、いったんへこんだヒョウガの立体は、次には深呼吸をするような具合にふくらみ、表面がなめらかな凸面に変化し、つるつるしたヒョウガの素肌に、スタジオの宝石の乱舞は鏡にうつる無数の色点滅のように奔りぬけ、ヒョウガの周囲の空間とヒョウガの肉体とのさかいめが、気体と物体との相違ではなく、互いに無理やりねじこまれた異質な空間どうしのように無機質な光沢を帯びて歪みました。
質感を変え、空間の凸面鏡となったヒョウガの輪郭がこまかく振動しながらぶれて、彼の皮膚に映る周囲の色点滅の疾走が、だんだんとかたちのある画像にまとまり、宝石の輝きにこもるエネルギーを吸いあげるように凝縮し始め、最初ヒョウガの肉体の上に滲むように出現したおぼろな画像は、すぐにはっきりと量感を持った人体に変化し、やがて彼の内部からメグ、続いてシーラが、ねじれ、歪みながら、じわり…と現れました。
 タイジは、疾風怒涛する宝石の乱舞に逆らい、あらんかぎり眼をみひらいて、ヒョウガと、メグ、シーラの再現を凝視し続けました。結跏趺坐したヒョウガから、あるいは向こう側から、いったん飛び散った宝石の光りの束が、意志を持って凝集したようにメグとシーラの立体画像が結ばれ、そのまま現実となって、二人の少女は、この三次元へ戻ってきたのです。ヒョウガの周囲の空間は、ねじこまれた空間転移の衝撃のせいか、歪んで、ゼリー状にぶよぶよして見えました。
シーラとメグはアスタリスクの中央、さっきまでガーネットが舞っていた結界に転がり、眼を閉じたまま、しばらくじっとして動きませんでした。
「シーラさあん、風間さあん」
 と、なお吹きすさぶ風に向かってタイジは声をふりしぼりました。ヒョウガは、と見やりますと、精根尽きたように、フルートを握ったまま、ごろりと床に横たわっています。メグが三人の中で最初に眼を開け、その瞳はまだ、夜目にもあざやかなコバルトブルーに発光していました。タイジは、ぽちゃぽちゃした小さい顔の双眸の放つ、人間とは思えない無機質、あるいは感情を超えた磁場のような吸引を感じて、総身にぞっと鳥肌をたたせました。
 メグは戻ってきた現実周囲の、むちゃくちゃな宝石嵐をふしぎそうに見回して起き上がり、あどけない仕草で床にぺたんと座り、顔を上向けて地下スタジオの天上はるかを眺めました。
 その瞬間嵐は鎮まり、いいえ、それどころか、空気と時間の流れそのものが停止してしまったように、宙に浮いた宝石や、突風にめくれあがったガーネットのスカートや、ジンさんのもじゃもじゃ髪のほつれまで、ぴたっとそのまま、動かなくなりました。
 メグはきらきら光る青い眼でうれしそうに周囲を見回し、タイジもジンさんもシーラも、まるでそこにいないかのように、何か小声で歌いながらたちあがると、アスタリスクの中をスキップしながら回り始めました。たのしげに、かろやかに。
 すると、中空に浮いた宝石たちは、メグのスキップにつられ、彼女のあとをついて旋回し始め、とても綺麗な虹色の輝きを帯び、回り続けるうち、地上から天空に向かって逆向きに走ってゆく流れ星のように、スタジオの上空はるかに飛んでゆこうとしました。
 タイジは、そのとき、数知れぬ小鳥たちのさわやかなさえずりを、はっきり聴き取りました。メグが小声で何か歌っている、その歌詞よりも大きく、たしかに、何百羽、何千羽もの鳥たちの元気な歌声が、あたりいちめんに宝石の光りとともにあふれ、天空に、ゆっくり昇ってゆくのです。
 タイジとガーネット、ジンさんは、ともかく正気づいてはいましたから、このありさまをそれぞれはっきりと眼に映しました。
「まーきれいねえ」
 と、ガーネットは、おそろしいとも感じない様子で、おっとりとつぶやきました。
「怖くないんですか?」
 とタイジ。
「どこに怖いものがあるの?」
「でも、ありえない景色じゃない?」
「ありえないことって、じつはけっこうありえることなのよね」
 とガーネットは暴風のために剥がれかかった片方の付け睫毛に気づいて、ちょいちょいと唾をつけて器用に瞼に貼り直しながら言いました。
「さすがガーちゃん。亀の甲より年の効」
 とジンさんは、ボー然としつつ、うっかりまずいことを口走ったのですが、ガーネットは眉ひとつ動かさず、
「天地創造でイヴはアダムの肋骨から生まれたんでしょ。その再現だと思えば。ひとりも二人も同じだわよ」
(はげしくチガウ気がする)
 とタイジは思いましたが、口には出しませんでした。ですが、タイジの正直な顔色を読んだガーネットは、彼をじろっと横目で見ると、さらに説明を付け足したのでした。
「出産って、別世界とこの地上をつなぐ、唯一の日常的な魔法なの」
「えっ」
 石たちが昇ってゆく上空の奥行きは、とうにスタジオタッパを超えていました。防音壁の上は、熱帯シダ植物の生い茂る珠螺木のフロアの筈ですが、数知れぬ大小七色の宝石たちは、その制約を突き破り、涼しい声でさえずり交わしながら夜空へ夜空へと向かい、どこかでふっと鳴きやむと、上昇の動きもそこでとまりました。そのとき星空は、現実の夜空と、なお異空間をひきずって輝く幻影の虹いろと二重写しの奥行きできらめいてました。
 メグは、アスタリスクの中心にたって、両手を遠くにさしのべ、ささやきました。
「戻ってきて。もとどおりに」
 そうして、宝石たちをこちらがわに呼び込むように、おいで、おいでと招きよせるジェスチュアをすると、空に昇った宝石たちは、静かな雨の粒のように、ゆっくりと珠螺木のスタジオまで、滴り落ちてきたのでした。
 さわさわと、巨大な熱帯樹林の風にそよぐ気配が聞こえました。すぐに、その幾重もの樹々の葉の面を、さらさらとすべり落ちる石たちの、鼓膜にひんやりと心地よい音も混じってきました。
雨をふくんだ大気のそよぎ。湿ったアスファルトと土の匂い。ガーネットが調合する東洋のあやしい香料と、お茶の匂い、奇妙な風味のお茶に添える、香ばしいマドレーヌ、いろんな音や匂いがいっしょになって、ガーネットの占い石たちは、メグの両腕に招かれて、おとなしく、何事もなかったかのように、たぶんガーネットが置いたもとの順序で、アスタリスクの軌跡の上に一粒づつ鎮まりました。
 こんな具合にしばらくの間、宝石は天空からきらきらした雨だれとなって降り注ぎ、最後に、ガーネットの手のなかで最初に変化したハローキティのミラーが、ひらひらと裏と表を見せながら結界の真ん中に音もなく、どこからともなく降りてきたのでした。ハローキティが降ってくると、メグはぱたんとその場に倒れ、目を閉じてしまいました。眠ってしまったようでした。
「ただいま」
 と、いつのまにか起き上がって、一部始終を眺めていたシーラは、そのときようやく口をひらき、すんなりした両足をそろえてから、乱れた髪を片手でかきあげ、微笑みました。
「シーラさん、今までどこにいたんスか」
「中有に」
「チュウユウ? よくわかんないけど、ともかく無事で?」
「モチよ」
 タイジにはそう言ったものの、シーラは、ガーネットに向かい、ちょっと眉をひそめて
「ドミのところまでは、行けなかったわ」
「因縁の鎖が深そう」
 ガーネットは、さっき炎上した自分の片手を、ためつすがめつながめ、傷ひとつないのを確かめました。
「こんな幻視はあたしも初めて。アスタリスクを離れて、あたし自身の手が、燃える曼荼羅になったの」
「ヒョウガは?」
「気絶してる」
「彼が渡ってきてくれた」
 ガーネットとシーラは、ほとんど同時に、床に眠りこけているヒョウガと、それからメグを見つめました。
「メグが……この子がヒョウガの音を、他界を渡るドアに変成したのよ」
「あたしの手の変化もね…」
 シーラはかるくうなずき、二人は宝石のアスタリスクの中にたたずんで、眠るメグを見つめて、黙り込みました。
「こういうとき、なんとなくやっぱBGMほしくない?」
 ジンさんは、どシリアスなシチュエーションが苦手なので、タイジの小脇をつつき、小声で、またまたタイジをひっぱりこみます。
「いいッすよ。ぼくも同感」
 タイジは、現に、まざまざと眼にしたパラレル幻視に、自分の正気を圧倒されまいと、今度はあえてジンさんのしょうもないギャグに乗ることにしました。
「で、どんな?」
「無事でよかったユーチューブ」
「(顔面に太書き縦線を四、五本うかべ、シーン、と内心つぶやくタイジ)……具体的な検索曲名は?」
「クレブタ版タン・デ・セリー」
「座布団十枚くらいかなー」
 タイジはへらへらと応え、ジンさんの顔をもういっぺん肘で抱えこみ、ガーネットをチラ見しようとするジンさんの視線を阻止しました。

「すっかり遅くなっちゃったわ」
 紫羅は、助手席で黙りこくって座っているメグに向かって、話しかけるともなく、ひとりごとのようにささやきました。
 帰り道、湾岸道路は渋滞していました。週末でもあり、また西から梅雨前線も険しく高まり、大雨を兆す黒雲が、夏空独特の澄んだ瑠璃色闇に染まる西の空を深く覆い、空調のゆきとどいた珠螺木を出るや、大気の湿度で肌はひどくべたべたしました。
ジュラキから銀座まで、シーラとメグは、ジンさんの車で戻り、タイジとは、いったんその場で別れたのでした。
 パラレル世界での滞空は、時間軸が現実とずれているとはいえ、すったもんだの連続で、珠螺木と銀座久我ビルとの往復だけでも、だいぶ時は過ぎてしまいました。
 メグは、ジンさんの車のなかでぐっすりと眠りこけ、銀座でシーラのプジョーに乗り換えるときに、ようやく目覚めはしたものの、しばらくぼんやりしていました。
「家まであとどの位?」
「二時間くらいかかるかな。八時か、九時過ぎるかも」
「パパに叱られる」
 メグは口をとがらせました。
「いっしょに行って謝るわ」
「シーラさん見たら、パパはびっくりする」
「メグは叱られないでしょ?」
 どうかなあ、とメグは駿男さんのオドロキ顔を思い浮かべました。
「パパは何も知らないんだもん。ママが妖精になったことも、シーラさんのことも」
 そこでメグはしょんぼりとうなだれ、蚊の鳴くような声で、
「ママは群青いろの湖にあの子と沈んでいっちゃった。どうなるの?」
「いっしょに連れ戻そうよ」
 紫羅は、ちょうど赤に変わった信号機で車を停め、ハンドルにほっそりした腕を預けるように上半身の力を抜いて、メグを見やりました。街のネオンの明滅が、シーラのなめらかな顔の皮膚に映り、ガラス玉のような両眼の明るさに、左右に停まった渋滞車両の光の列が、なんだか安美さんを呑みこんできらきらしていた湖の飛沫のようでした。
「あの男の子、誰?」
「わからない。それをこれから調べるの。
ふたりで力を合わせて、もう一回か、あと何回かわからないけれど、あそこへ飛んで行こうよ、そうしないと、たぶん手がかりもつかめない」
(あそこって……)
 メグは、最初に踏み込んだ悪夢、正四面体建築と、窓から覗いたなま白い素足の逆円陣のダンス、巨大な血の底なし沼、歪んだ顔つきの幼児を思い出し、身震いしました。
「こわい?」
 信号機が変わり、アクセルを踏み込んだシーラは、片手を伸ばして、うつむいたメグの首のうしろに触れました。透けるように白いシーラの手は、思いがけず暖かく、おかげでメグは恐怖がやわらぎ、顔をあげると、にこっと笑い返し、
「あたしより、ママはもっと怖いかも。ドミとか、はっちゃんとか、それから、ええと」
「アスカさん」
「うん、そのひと」
(いい子だ)
 と、素直にうなずくメグをながめて、シーラは思いました。
(のんびり育った十歳の少女には、とうてい耐えられないくらいの非日常ストレスをこうむって、感情破綻もしていない。さらに他者の苦境を思いやるキャパがあるのは、ヒーラーとしていい素質)
 とシーラは考えました。
(この子をあたしのパートナーにしたい。あたしたちはきっとうまくやれる)
 だいいち、カワイイ、とシーラはメグのあどけない表情を長い睫毛越しに見つめ、
(いっしょに仕事するんなら、美少女のほうがいい)
 こんな感覚は、シーラが、本当は〈彼〉だからかも知れないのですが……。
「メグは、将来何になりたいの?」
 気分を変えようと、シーラは話を脇へ逸らしました。打てば響くように、メグは答えました。
「学校の先生」
「小学校?」
「わからないけれど、中学校でもいいかも」
「なぜ?」
「楽しいから」
 シーラは、最初にメグと会った日に、下校途中、同級生らしい仲良しの女の子とでんでん虫をつまんで、はしゃいでいたメグを思い出しました。
「学校、好きなのね」
「うん」
(ほんとにいい子なんだ。安美さんもパパさんも、この不思議な子を可愛がってうまく育てたな。器質的に視覚がほんとにはない、ってことを、メグはいつ知ったんだろう。自分に授かった特殊能力で周囲に〈感応〉しているということ、理解しているのかしら)
 シーラは、いろいろと思いめぐらしましたが、黙っていました。いずれ、安美さんを取り戻したときに、その経緯を聴けるものなら聞いてみたいが、メグにはタブーの話題だろう、と。
「おなかがすいたなあ」
 と、高速道路の料金所を過ぎて、ようやく車両がスムーズに流れ始めた高速道路で、メグは無邪気に言い出しました。
「何か食べる?」
「ううん、いらない。今日は土曜日だから、パパが作ってくれるんだ。だからきっと、待ちくたびれてるよ」
「へええ。パパお料理するんだ」
「おいしいよ」
「何が得意?」
「何でも作ってくれるの。でも忙しいから、スパゲティとか、ハンバーグが多い」
「今夜は何かしら」
「メグのカンだと…」
 とメグはまじまじと考え、時計を見て、もう夜の八時半を過ぎているのを確かめると、
「焼きそばかラーメン」
「なぜ?」
「パパ、メグが帰ってきてから、食べたいもの何かって聞いて作ってくれる。今夜はメグがいないから、何にも作っていないよ。だから、今から帰って、おなかペコペコで、すぐ食べれるのって言ったらそのふたつ。もしかしたらオムライス」
「やさしいんだね、君のパパ」
 シーラの声に、かすかな陰影がこもりましたが、メグは気がつきませんでした。
「うん、パパ大好き。だからママと再会したら、すごく喜ぶよ」
 そこで、メグはあらためてしょぼんとしてしまいました。
「ママに、また会えるかな」
「会えるわよ。あたしたちで、取り戻すの」
「そしたら、パパにもママが見える?」
 シーラは、一瞬、ハンドルにかけた手先が揺れるのを感じました。でも、はっきりと応えました。
「そうだよ、メグ。君がそう望みさえすれば、安美さんを出現させることができる」
 シーラのそういう声は、ぴしっとして、やっぱり少年のようでした。

 メグとパパの住むマンションの地下駐車場で、シーラは、ヨレヨレになってしまったキャミソールの上に、ブルーとグリーンのトロピカル模様のパレオワンピースを、後部座席に積んであったいくつかの紙袋から選んで手早くひっかけ、ミニスカートを脱いで、足首までの黒レギンスをするすると履きました。
「シーラさん準備いい」
 メグは感心しました。ストラップを両肩で結ぶビーチウェア風のパレオは、首から胸にかけてキャミソールよりずっと露出度が高いので、シーラは、その上にピンクのパーカーも羽織りました。セミロングヘアは、後ろでひとつに束ね、派手めのビーズデコのバレッタでざっくりとまとめました。すると、シーラのミステリアスな印象はがらりと変り、キュートでおしゃれな、普通の女の子みたいに見えました。
 シーラは、メグにウインクして、
「ナマ脚、ナマ肌は、パパさんに刺激過多でしょ?」
「いつも衣装をそんなに持ち歩いているの?」
「そうよ」
 と言いつつ、シーラはガサゴソと別な袋からフラットなサンダルを出して、ピンヒールと交換しました。
「カンペキ」
「よく言うよー」
 とメグはシーラを見上げましたが、じっさいのところ、それはほんとでした。
 玄関で待ち構えていたパパは腕組みし、すっかり怒り顔だったのですが、メグのすぐ後ろから、カラフルなパレオ姿のシーラが現れたとたん、ふにゃっと顔つきが変わってしまいました。
「こんばんは。こんなに遅くなって申し訳ありません」
 とシーラは丁寧な言葉遣いで開口一番、ペコンとパパに頭をさげました。両手はちゃんと膝の上にそろえています。黒レギンスを履くとまっすぐ伸びたアスパラガスみたいな両足のラインが素足よりもさらに際立ち、きれいでした。
「コンバンワ」
パパは、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔つきで、眼の前のシーラさんを、頭のてっぺんからつまさきまで、無遠慮にジーッと見つめ、ちょっとどもりながら、
「メグの、その、あたらしいトモダチですか?」
「そうだよっ。パパ、メグたちおなか空いたの。ごはんにしよう」
「待て待て、パパは君が羊子ちゃんの家に遊びにいったと思ったんだ。土曜日はピアノのお稽古の日だろ?」
「…うん」
「お稽古も休んだ?」
「……」
「七時になっても君が帰らないから、パパは羊子ちゃんちに電話したんだ、そしたら来ていないって」
「あたしが連れ出したんです。スミマセン。申し遅れました。あたし千手紫羅と申します。しばらく前から、メグちゃんのお友達です」
 と、このあたりでようやく少し冷静になったパパは、玄関で立ち話も何だから、リビングに誘いました。
「パパ、おなか減ったよー。ペコペコだよ」
 メグは駿男さんの腕をつかんでひっぱります。
「パパだって空いたよ。君をちゃんと待っていたんだし、ものすごく心配したんだ。電話連絡くらいよこせ」
「スミマセン」
 と脇からシーラが謝りました。
「いったいどこにいたんです、君」
 パパは、心配と空腹と、見たこともない美少女の突然の登場に混乱し、誰に向かって話しているのかわからない口調でヘドモドと、
「ま、トリアエズご飯食べよう」 
 とエプロンをひっかけました。
(おなかが空いていると、ロクな考えは浮かばないし、判断力もニブる。しかし、この子、ナニモノだ? ぼくより背高いし、スタイルめちゃいいし、タレントにしちゃ見たことないし、物腰に品がある。でも、ウチのメグにモデルサイズの友人ができるキッカケって……。えっ、まさか出会い系サイトで)
 まさかの出会い、とかなんとか、どっかの広告で垣間見たようなテロップと、いい加減な@マークアドレスが、ちかちかとパパの脳裏を真横に走ってゆきました。
 メグは、そんな敏男さんのいかがわしいテロップ疾走妄想を遮る無邪気な声で、
「パパ、今夜のメニューなに?」
「冬瓜の翡翠煮こしらえたんだよ。待っている間に。だから、それに合うのがいいだろ。
とろろそば、どう?」
「いいよ」
「あなた、それでいい?」
 パパは冷や汗でずり落ちそうになる鼻眼鏡を中指でもちあげ、布巾でレンズの曇りをごしごしふき取りながら、シーラに尋ねました。
「ハイ」と、ダイニングテーブルに座ったシーラは素直にうなずき、はにかんだ笑顔を浮かべました。これはもちろん彼女の演技でした。化粧っけのない顔をして、すこし緊張気味に膝を合わせ、両腕をそろえて、椅子に小さく座ったシーラは、傍目には、教え子の家に招かれたアルバイトの家庭教師みたいな風情に見えるかもしれません。シーラは数瞬で室内をざっと観察しました。
(男親と娘ひとりの住まい。3LDKのマンション。よく片付いているな。彼が掃除したのか? オフホワイトとベージュ基調のダイニング、家具。食器棚には、一通りの食器、冷蔵庫のなかにはレトルトじゃなく、ちゃんと買い置きの食材がある。駿男パパは、隣の市の大手家電会社の店長だった……。今年五十一歳。ネット写真より若いな…趣味は料理と家庭菜園、インターネット、読書、映画鑑賞。ベランダには、たぶん花や野菜のプランターがある)
「トリアエズ、プリンでも食べてて。何もお茶菓子ないし、もうこんな時間だし。あ、果物のほうがよかった? スイカ切ろうか」
「おかまいなく」
 とシーラは明るい笑顔で答えました。
「スイカ食べたい、スイカがいい」
 メグはぴょんぴょん飛び跳ねます。
「君はぼくのお手伝いしなさい」
 とメグに向かっては怒り顔をどうにかつくろうパパですが、視線はどうしてもシーラに流れてしまい、そのたびにコワモテは気の抜けた風船みたいに崩れて、嬉しそうにまなじりが垂れてしまうのでした。
(やー……しっかし見れば見るほど美人。顔の彫りが深いからハーフ、いや、ダブル?か、クォーターかな? だとしたら、もうちょっと胸欲しい気がするけどさ、いまどきの若い子って、痩せ志向なんだ、ほんとに)
 もともとパパは、物事を入り組んで気を回すタイプではないので、しばらくシーラが同席しているうちに、美女のかもしだす雰囲気に気持ちよくなってしまい、とろろそばを三人前茹で上げるころには、こまかいことはどうでもよくなってしまいました。
(疑うにしても問いただすにしても、食べてからにしよう)
 とろろそばは、パパの工夫した味付けで、蜂蜜付けの梅干を叩き、たっぷりの大根おろしをザルで水切りし、とろろ芋に混ぜこむのでした。めんつゆも、市販製品をそのまま使うのではなく、懐石の吸地八方に習って、ごく簡単ですが、鰹と昆布でとってあります。薄口醤油に、白髪葱のみじん切り、今夜は梅風味なので、つゆに同じハチミツ梅をひとつぶ、隠し味に煮出し、こちらは食べる前に取り出します。梅干など使わずに、めんつゆを仕上げるときには、濃い口でも薄口でもほんの少し、黒酢かワインビネガー、バルサミコなどを加えると、塩味を薄めても味がひきしまる、というのは、亡き愛妻安美さんからの伝授でした。
 安美さんの写真はダイニングテーブルの上にきれいな花模様のステンドグラスの写真立てに入れて、ごく自然な家族フォトとして飾ってあります。
 シーラは、シャルトル大聖堂の薔薇窓ふう写真立てをとりあげ、しげしげと眺めました。
 鍔のひろい麻の夏帽子。ダスティピンクのすっきりした袖なしワンピース。両腕に日よけの白いロング手袋をはめ、鎌倉か、京都か、旅先の名刹庭園での記念撮影のようです。隣に赤ちゃんを抱いたパパさんが並んでいるところを見ると、彼女の年齢は、もう四十過ぎでしょうか。
日焼け止めファンデを塗った化粧肌の白さに、きちんと輪郭をとった口紅のコーラルピンクがちょっと濃く目立ちます。でも、それをなくして、素顔のほっぺたとほどき髪にしてしまえば、柳の精霊の安美さんの面影と、そんなにギャップはなさそうでした。
 シーラの手元をパパは覗いて、
「女房です。かわいいでしょ。けっこう写真写りよかったんだ」
 臆面もなく妻の器量自慢ができるのは、安美さんが亡きひとだからなのでした。けれども、女房です、と現在形でポロリと言い切った駿男さんの台詞に、シーラは、まだ男臭いこのひとが妻亡きあと、ともかくも心潔く、一人でメグを育てている、ということを察しました。
 梅とろ蕎麦に冬瓜の翡翠煮、それだけでは物足りないから冷蔵庫をかきまわして厚揚げを見つけ出し、素焼きにしておろし生姜と鰹節をふりかけます。
「生姜は冷凍しておくといいんだよ、知ってた?」
 とパパはしきりに首筋や額の汗を拭きながら、シーラに話しかけました。節電の夏ですが、まだ熱帯夜ともいえないのに、やたら汗をかくのは、シーラの登場で緊張しているせいなんでしょう。
「冷凍したものをすりおろすんですか?」
「そう。生姜は傷むでしょ。だから買ったらすぐに冷凍するの。それをおろしがねですると、フワっとして繊維のない、いいオロシショウガになるんだ」
 とにこにこしながら、かなり必死になってシーラとの話題を探す駿男さんの様子に、
(メグがのびのびといい性格に育つわけだよね、このパパだもの)
 とシーラは思いました。どこに行っても歓迎される自分を、120パーセント承知しているシーラのほうが、パパとの会話でもすっと優位なのでした。
「ビール飲む?」
「せっかくですけど、ご遠慮します」
「じゃ、ぼくだけ」
「メグはジュースねー」
「もう夜遅いからフルーツミックスにしなさい」
「はあい」
 と言いつつ、すこし大きめのエプロンの肩紐が、両肩からずり落ちそうなのを直しなおし、メグはうれしそうにスイカを切って、ガラスの器に三人ぶんをいそいそと取り分けるのでした。
(幸せそうだな、メグ。……この子が、あれほど強烈で、時空進行さえねじまげる不思議な飛翔力をもっていなかったら、あたしの世界に連れ出す理由なんかない)
 シーラは考え、そのいっぽうで、
(でも、こういう子だからこそ、そんな能力を授かったのかもしれない)
「わー、おいしいです。梅風味とろろ蕎麦って初めてかも」
 内心の淡々とした自問自答とは裏腹に、若い娘らしい歓声まじりに、適度な音をたてて蕎麦をすすりこみました。
「でしょ? おうちごはんとしちゃあ、ぼくも傑作だと思うよ。ええと、それで」
 パパは壁の時計をちらっと見て、もう十時過ぎなのを確かめ、
「あなた、しいらさんだっけ。今日、メグとどこにいたの?」
「銀座に」
「えっ」
「あるギャラリーに連れていったんです。彼女に是非見てもらいたいものがあって」
「あー、銀座はいいギャラリーたくさんあるもんね。でも、なんで急に? 誘ってくれればぼくも行きたかったな」
 メグとシーラは、お互いに視線を交え、なんとなくお互いに了解しあって、同時にうなずきました。
 パパは早食いなので、お蕎麦も素焼きもスイカも、ぱっぱっとたいらげてしまいました。シーラは、パパが満腹になって、缶ビールをひとつ空け、リラックスしていい気分になった頃合を測り、
「パワースポット、って最近でもないかしら、わりと流行ってるんですケド」
「ハイ?」
「いろんな言い方で、どんな時代にも存在する聖域、サンクチュアリ」
「イマドキだと、まあモバゲーでしょ。ウチの会社の若い子もけっこうはまってるし」
(ハナシが見えてないわよ、パパさん) 
メグが顔も性格もママ似でよかった、とシーラはほろ酔い気分で赤くなったパパのオジサン顔をつくづくながめて思いました。
(でも、このズレ気味のノリで聞かせてしまって、了解もらったほうがいいな。どっちみち、このオオザッパなパパに、あたしたちを完全に理解するのは無理だろう)
 あっさりと見極めると、パパのトンチンカンなリアクションにはかまわず、
「そういう意味ではなくて、現実にあるサンクチュアリ。パワースポットって、土地とか、場所とか神社仏閣遺跡だけじゃなくて、ある種の人間そのものがそれを受けうるものなのよ」
 いつしかシーラの声は、ギャル口調から離れて、いつもの彼女らしい独得の深みを帯びていました。パパの返答を待たず、シーラは続けました。
「メグさん、おじさまの娘さん、そのひとりなの……」

(ハナシが見えないなー。ったくイマドキのギャルは主観的なボキャで喋るから。サンクチュアリ? )
「シーラさん、話しの途中で、ワルイ。ちょっと聞くけど」
 と駿男パパは藍染め甚平の下穿きからぬっと突き出した毛むくじゃらの脛を、テーブルの下でこっそりとボリボリかいて、
「あなた、芸能人?」
「いいえ」
「アマチュアバンドやってるとか」
「バンド…(そういうテもあるか)」
 即座にシーラは、向うから飛んできたカモネギ、否、駒に乗ることにしました。
「ええ、そうですね。バンド(集団)といえばバンドになりかけ」
「わかった、ウチのメグをスカウトしたいんでしょ。とんでもないよ、あなた」
「いけませんか?」
 パパはすっかり自分で納得のいくストーリイ展開を作り上げてしまいました。
「いや、イケナイもなにも、メグはピアノがちょっと弾けるくらいで、それにしたって、習い事レベルだし、歌も踊りも習ってないし、特に際立った才能があるとは思えないんだよね。まあ、顔やスタイルは親のひいきめで見て、悪くないから、いっときペライチ子役(なんだそりゃ?)くらいの可能性アリかも知んないけどさ。そんなあまくないでしょ。アイドル商売。だいいち、まだ十一歳だよ」
「コドモモデルのデビューに下限はないですよ」
「あ、やっぱあなたモデルなんだ。だよねーシロウト離れしてるもん。君くらい綺麗だったら、いっそパリコレとか似合いそう。菊池凛子さんとか、昔の山口小夜子さんとか、どことなくスゴミのある雰囲気似てる」
「はあ」
「でもさ、うちの子はほんとに平凡なジャリでねー」
「そんなことないよ」
 と,八ツ切りのスイカに、真ん中からガブリと食いつきながら、メグは抗議しました。
「今日はね、宙返りとか、ジャンプとか、すごいことがあったんだよ。メグちゃんとできたし、現実に着地したもん」
「宙返りして着地成功かあ、それってすごいよ。パパも見たかった。じゃ将来は女子体操の選手めざすか?」
 パパはメグのポニーテールの髪をひっぱって茶化しました。でも、すぐに真顔になり、
「シーラさん、宙返りなんてハイレベルなこと、この子にさせたの?」
「上手でしたよ、とっても」
 とシーラはぬけぬけと言い張りました。
「あたしなんか、とってもかなわない。やっぱり〈離れ〉業って、ブルガリアやルーマニアの妖精じゃないけれど、少女時代初期がスゴイわあ」
「だよね。思春期前期、十二歳くらいから十四、五歳が絶頂だろ?。でも、ウチの子、体育の成績って、たしか通信簿では…」
「英才教育に近いマンツーマンですから。学校とはちがったスキルで、メグさんの隠れた才能を引き出せる、とあたし思います。彼女は物怖じしないし、情緒も安定していて、ここぞという瞬間度胸もあります」
「ミュージカルの子役ね。ちょっとした人生経験としては、悪くないと思うけれど」
「でしょ? 彼女、歌もいいですよ」
「そう? まあピアノ習っているから、初見でも、ある程度の楽譜は読めるよね」
 はい、とシーラは笑顔にきれいな歯並びを見せて、たくさんまばたきをして、目をうるませて、でも、きちんとふたつの膝がしらは揃えて、すこし上体をやわらかくねじり、パパの目線より少し下から、可愛い子ちゃん視線をさりげなく送ります。幸いパパとシーラは座高が同じくらいなので、すこし背をかがめただけで、シーラはかんたんにパパを見上げる姿勢で話すことができました。
「君、本業はまだ学生でしょ。もしかしてフリーター?」
「学生です。これ学生証」
 とシーラは、足元に置いた籠編みトートバッグから、ピンクのビーズデコパスケースをとりだし、パパに見せました。
「へえ」
 とパパはそれを手にとり、ちょっと間を置いて、シーラの顔を別なまなざしで見つめなおしました。シーラは小首かしげて恥ずかしそうに微笑み、しっかりパパと、長い睫毛ごしにアイコンタクトしました。
「君、アタマいいんだねえ」
「偶然受かっただけです」
「うーん。偶然でも受かっちまえばこっちのもんだ。メグに君のツメの垢もらいたいよ」
「えー。あたしのほうこそ、メグちゃんに助けてもらってます。ほんとに彼女は小さいのに、もしかしたら、あたしたちのバンドのメンバーの中で一番くらいに勘がよくて」
「ほらぁ、パパ。メグって、じつはすごいんだよ」
「わかったよ。まあ、でんぐりがえりして脱臼なんかしないようにしてくれれば。で、そのアマチュアバンド、今後メンバー集まりそう?」
「ボチボチです」
「ふーん」
(ぼくもギターくらいなら、まあまあ弾けるんだけどなあ。学生時代はかなり人気者だったし。ちょっと参加してみたい気がしてきたぞ。そのうちメグにくっついてスタジオ覗いてみようかな)
 と、罪のない下心を、ほろ酔いの勢いで抱いたアバウトパパの空耳には、ビートルズやイーグルスのナンバーを必死にコピーした青春時代のサウンドがよみがえり、なんとなくたちあがると、適当にクラプトンをかけました。その間もどうかすると、どんな角度から眺めてもきれいなシーラに、思わず知らず、ずーっと見とれているのでした。
「じゃあ、メグ、いっちょうチャレンジしてみる? そのアマチュアミュージカル・サンクチュアリ」
「いいの?」
「ピアノのお稽古はどうする」
「行くよ、もちろん。秋には発表会あるし、そっちも絶対出る」
「あら、なに弾くの」
「先生は、シューベルトか、モーツアルトか、って」
「すごおい。あたしなんて、楽器ぜんぜんダメなんですう」
「あっそ。なんだか君なんでもできそうなフンイキだけど」
「うそぉ、やだあ、でもウレシー」
「ははは。まあ、メグのピアノはいつも本番で、つっかえもっかえなんだけど。音はなかなかいいよ。純朴で」
 パパの脳裏には、未完成のシロウトミュージカルの舞台で、ヒラヒラのドレスを着たメグが、得意になって歌い踊りながら、思わずこけたりする情景が、花飾り画面で浮かびました。
「でもね、シーラちゃん」
 と呼びかけも、いつのまにか「ちゃん」付けに変わりました。
「念押すけど、まさかゲートウェイドラッグなんかやっちゃいやだよ。ぼくいつか父兄参観でついていくからね」
(いいパパだ)
 とシーラは何度もマジで思いました。
「はい。あたしが、メグさんにくっついて、危なくないようにコーチしますから」
「ついでに算数教えてやってよ。メグ、サンクチュアリの日には宿題持ってって、教えてもらえ。休み時間あるだろ? ジョディ・フォスターとか吉永小百合とか、大女優は勉強もちゃんとできたんだぞ」
「えー」
 宿題と聞いたとたんにメグは食卓に顎を乗せ、背中をまるめ、ダイニングの椅子から両足をぶらぶらさせて、つまらなそうな顔つきになりました。
「いいわよ、あたしでよかったら、小学生の算数と英語くらい」
「やったー。これで夏休みの課題楽勝だぞメグ」 
 と、こどものように歓声をあげるパパなのでした。

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