さゆらもゆらに水晶虹彩

時間と空間のむこうがわ……夢うつつのはざまに揺れて透かし見える水晶虹彩のものがたりをつむぎます。

スポンサーサイト

Posted by 水市夢の on

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

星月夜  vol1 紗縒

Posted by 水市夢の on   2 comments   0 trackback

    星月夜  vol1 紗縒

 霜月は死者恋ふる月うすぎぬを被けば我も世界も蒼し、という歌が浮かんだ。母の歌だ。
 彼女が亡くなって一ヶ月になる。密葬で、という遺言どおり、喪主のわたしはごく近い身内だけに報せて、自宅でひっそりと弔った。身内といっても血縁はほとんどいない。両親はわたしが幼児のころ離婚している。わたしはこのひとについて、ほとんど知らない。   
母の父、私にとっての祖父は、母がまだ幼児のころ白血病で夭折し、祖母も十年前に鬼籍に入り、母の妹、わたしの叔母は三年前に胃癌で逝った。不幸は重なるもので、彼女の遺児三人のうち、上の姉妹二人も、母親の後を追うように相次いで亡くなっている。ひとりは祖父と同じ白血病、その妹は自死。どちらも二十代半ばという若さだった。
 叔母の享年は四十八歳だった。若死、という形容は適当ではないかもしれない。人生五十年下天のうちをくらぶれば夢まぼろしのごとくなり……幸若舞の句を思えば、そのくらいで世を去るのが老醜の無惨を免れて、ことに女は見目よいのかも知れない。いや、いまどきは六十、七十になろうとつややかに美しい女は大勢いるから、老醜という言葉じたい非礼極まりないとも言える。女性だけでなく、たぶん男性に対しても同様だろう。それならば、今年五十六歳で亡くなった母や、五十前で世を去った叔母などは、まだひとに命を惜しんでもらえる夭折の部類に入るのかな。ともかく母も叔母も、二人ながらずいぶん身じまいのよいきれいな女たちで、最期まで病やつれを見せなかった。
 母と叔母はやや歳の離れた姉妹だが、双子のように容貌がよく似ていた。だが、長女で、幼いころから才気煥発な母とは違って、叔母は特に目立つひとではなかった。口数が多くないのは姉妹ともに同じだが、母は人付き合いを好まず、自分の世界にこもって短歌を詠み、絵を描いていた。父と結婚し、わたしが生まれ、それからすぐに父と別れ、女手ひとつでわたしを育てながら、何冊かの歌集画集を上梓し、三十年近くが過ぎたが、彼女の精神の内側に、夫である父や、娘のわたしが実体として存在したかどうか疑わしい。母の怒ったところをわたしは生まれてからいっぺんも見たことがない。彼女の眼はガラスのようだった。自意識が作り出した透明なガラス越しにわたしや周囲を見ていた。母は美しい女だったから、プラス自己愛はガラス研磨に有効だったろう。
 こんなふうに書くと、例によって森茉莉などをひきあいに出したのか、と思われそうだ。だがあちらはガラスの壁の内側に獰猛とエロスをしたたか潜めた甘い蜂蜜の瓶だが、歌人で画家の水品紗縒(みずしなさより)のガラスの中身はずっと淡白で冷たかったに違いない、と娘のわたしは思っている。いや、思いたい。自分を納得させるため、母親固着から免れるために、水品紗縒の記憶をちいさく残したいからだと思う。ちいさく…そう、記憶に残る母の印象と価値を、今生きているわたしを圧迫しない程度に低めたい。だけど、こんなふうに母親のイメージを操作しようとすることじたい、わたしが母親原型の魔術に捕らわれているあかしかも知れない。魔術、憧憬、恋着? 息子だったら、そう、たぶんね。
で、母の中には何が入っていたのだろう?
きっと彼女だけが纏うことのできる透紗という薄青い織物でも、一生織り続けていたのではないだろうか。誰に着せるためでもない、ただ彼女のためだけの、透けるうすぎぬ。
 だから、母の葬送いっさいが終わったあと、わたしの脳裏に、死者恋ふる月に世界も我も、などという、センチメンタルでほのぐらい、だが音律は彼女独特に快い抒情歌が鳴り響いて離れないのだろう。
自分を守るガラスの壁高い姉とは違って、叔母は人当たりのよい女性だった。器量よしでほどほど交際じょうず、学生時代に知り合った恋人と、大学卒業後早々に結婚し、三人のこどもに恵まれた。けれども、このひとの結婚生活も幸福とは言えなかったようだ。それは彼女が亡くなってすぐに、まだ二十三歳の次女が自死したことからわかった。
 もう叔母の余命いくばくもない、と知らされて見舞いに行った病床は市民病院の個室で、
六畳くらいの白っぽい殺風景な部屋に、叔母のベッドはひとつきり、けれども驚いたことに、彼女の寝ている周囲の床、出窓、小机など、ともかく病室いっぱいに花が飾られていた。カーネーション、百合、薔薇、霞草、金魚草、黄菊白菊いろいろ、いろいろ。
ごく普通に花屋の軒先にある和洋さまざまな草花が、不吉なほどどっさり叔母の周囲にあって、もう食べることも呑むこともできない叔母は、フリルのたくさんついたピンクのガーゼのようなネグリジェを着て、花の中から上半身を持ち上げて、母とわたしを迎えたのだった。
 胃癌の末期で、健康なときには輪郭の柔らかい卵型の可憐な顔が、別人のようにげっそりと痩せ、睫毛の濃い眼窩が蒼くくぼんで、西洋人のように彫り深く、こわいようだった。にしても不思議なことに老けこんではいず、顎まわりの贅肉が落ちて、以前よりずっと若く、肉の薄い顔だけ見るなら、まだ十代の少女のようでさえあった。
とはいえ、かさかさしたこめかみには、抗癌剤の副作用で膨張した静脈がうっすらと藻のように透けて見える。わたしは不謹慎なことに、このときも母の歌のどれかを連想してしまったと思う。薄いろ、青、水いろ。ひんやりとした繊弱を母は好んで歌った。母親の歌がレンズのようにわたしの眼に被さって、死期の近い叔母を物語の登場人物のように脚色して眺めてしまったと思う。
レンズの向こうで、やがて血の気のない乾いた白いくちびるが動き、思いがけず暖かい、優しい声が聞こえた。
「おねえちゃん、ふたりになったの?」
「ふたりって?」
 挨拶もぬきにいきなり問われた母は、曖昧な微笑を浮かべた。癌末期の激痛緩和にモルヒネ投与が始まっている叔母の錯乱か、と思ったらしい。母は傍らのわたしを見やり、おだやかに、
「透姫子(すきこ)と、ふたり?」
「ああ、透姫ちゃん、大きくなったのねえ」
 叔母はようやくわたしの存在に気づいたかのように、蒼い白目をくるりと動かし、わたしに視線を定めた。あまりに痩せこけてしまったので、眼窩の中の眼球の動きが、離れていてもはっきりわかる。健康な時、叔母は切れ長の涼しい目元をしていたのに、死期の近いひとに特有の、つやのない漂白したような目玉に変わっていた。
が、今度はわたしがとまどう番だった。この日以前に叔母に会ったのは一年ほど前の夏だった。そのとき叔母はかなり食が細くなっていたのだが、本人も家族もただの夏ばてと思っていた。わたしが二十五歳のときに叔母はなくなったのだから、とうに女性ふつうの成長期は過ぎていた。
「そんなに変わった?」
 わたしは叔母に話を合わせようとした。
「うん、すっかり成長して。姉さんがふたりもいたら、たいへんでしょう。わがままだものねえ」
 わたしと母はもういちど、顔を見合わせた。叔母はにこにこ笑っている。表情を動かすたびに、皮膚の下の顎骨のかたちがはっきりわかった。
「おねえちゃんを、透姫ちゃんだいじにしてやってね、体ひとつに自分をまとめられなくなっているなんて」
 叔母の声はおっとりとして、錯乱している気配は感じ取れなかった。幻覚だろうか、わたしは考え、母もそう解釈したのか、
「あたしがふたりいるの?」
「そう」
 叔母は澄まして応えた。
「おねえちゃん、おねえちゃん、それから透姫ちゃんって、並んでいる」
 ほそい人差し指を突き出して、わたしたちの前の空間をぽん、ぽん、ぽん、と軽く叩く仕草をした。指の爪が楕円に伸びて、きれいなパールピンクのマニキュアが塗られていた。
 母は曖昧にうなずき、笑った。
「忙しいので、分裂したのよあたし」
「ひとりはこの世に残しておかなきゃね。まだ透姫ちゃん若すぎるから」
 叔母はまじめな顔で言葉を重ねた。母は目をまるくし、
「それじゃあたしのもういっぽうは、あの世ゆきってわけ?」
 ええ、と叔母は嬉しそうにうなずく。
「あたし、もうじき死んじゃうんだけれど、おねえちゃんがすぐに来てくれるからさみしくないわね」
 母はほんの少し首を左右に振ったが、気分を害した様子はなかった。
「ふうちゃん、このたくさんのお花はお見舞い?」
 会話がねじれそうな気がしてわたしは話題を変えた。叔母の名前は芙蓉といい、わたしと母は、普段叔母をふうちゃんと呼んでいた。母も叔母も、甥姪におばさんなんて呼ばれたくないひとたちだったし、すらりとした彼女たちの容姿も世間ふつうのおばさんには見えなかった。
「お見舞いにいただいたのもあるけれど」
 と叔母は首を振り、部屋を埋めつくすほどのお花は、彼女の夫がこどもたちに命じて運び込ませたと言った。
「百合はもっとたくさんあったんだけど、香りがきつくて頭が痛くなるから下げてもらったの」
 母はうなずいて黙った。叔母夫婦があまり円満ではないのを知っていたし、死期の近い妹の病床をこれでもかと埋める百花繚乱は却って忌まわしく感じられたに違いない。当人がまだ生きているのに、病室はもう斎場のように飾られているなんて。
 わたしたちの感情を読んだかのように、叔母は言った。
「詩郎はね、これはあたしへの贖いなんだと言って、ここに入院したときからこんなふうに花を詰め込んだのよ。あたしはどっちでもいいんだけど、お運びさせられる夏夜や詩杖(しづえ)がかわいそう」
 夏夜は長女で、詩杖は次女。次女のほうが姉より早く逝った。たった一年の差だけれども。夭折した姉妹の下に、もうひとり男の子がいる。年子のように次々と生まれた姉ふたりから離れて、末っ子の緋郎(ひろお)は十五歳だった。
芙蓉さんはそれから二ヶ月ほどして逝った。
十一月一日の夜明けに、市民病院の花畑のような個室で、家族に見守られながら逝ったということだった。
心残りは何もないの、と最期の見舞いのとき、芙蓉さんはわたしと母に明るく笑いかけた。八月の終わり、病室の外では油蝉が鳴き、ひぐらしも聴こえた。市民病院はまだ新しかったが建物の周囲にたくさん植樹をし、人工の森の間、ところどころに入院患者と一般市民のためにちいさい公園を設けていた。叔母の病室は五階の角部屋で、朝陽と西日が適度にさしこむきれいな個室だった。壁の二面にひらかれた窓からは病院建物の角張った輪郭をやわらげるように植えられている雑木林が見下ろせた。
「まだ、だめよ」
 少したってから答えた母は、迷いながら言葉を選んでいるようだった。芙蓉さんがもうすぐ逝ってしまうのはわかっていたのだが、心残りはない、と言われても、はいそうですか、とは応じられない。でも、芙蓉さんの、痩せてはいるもののすべすべした表情には感情の曇りがまるでなくて、彼女が信仰しているカトリックの聖者の白い塑像の顔のようだった。
 話は逸れてしまうが、芙蓉さんの夫の詩郎さんはもと仏教の僧侶で、今は還俗している。実家の跡目を継ぐはずだったが、何かの理由で弟に譲った。母も叔母も、少女時代にカトリックに帰依しているから、芙蓉さんと夫は宗旨が違う。それが夫婦の齟齬のもとになったとは思えないが、わたしは芙蓉さんがつぶやいた「病室の花は夫の贖罪」という台詞が気になった。そのころわたしは芙蓉さん一家の内情について何も知らなかったので。ただ漠然と、芙蓉さんは詩郎さんとうまくいっていない、という程度の知識しかなかった。だが母は知っていたのだった。
 看護師が入ってきて、叔母のケアをするというのでわたしたちは病室を出た。看護師が入ってきたとたん、それまで気づかなかった薬剤の匂いが急に鼻をついた。
 エレベーターの前に、夏夜が立っていた。
片手に花束を抱えている。百合。それは淡いピンクの透かし百合で、香りがあまりきつくない種類のものだった。
「もう帰るの?」
 夏夜はわたしたちをひきとめたがった。彼女はわたしと同い年で、幼稚園教諭をしていた。肩までの髪にゆるいウエーブをかけ、両頬にすこし縮れ毛を垂らし、残りは後ろで束ねている。肌理のこまかい白い顔に、きっちりと刻んだような目鼻立ちは芙蓉さんよりも父親に似ていた。
「あとから詩杖も来るから、紗夜さんと透姫ちゃん、みんなでお茶しましょうよ。ひさしぶりなのに」
 紗夜が母の本名だ。姪の名前を夏夜とつけたのは母で、自分の本名に含まれる一字を与えたのである。従妹たちも、母をおばさんとは呼ばなかった。じっさいそうやって眼の前に、母と夏夜を並べてみると、起伏の少ない院内照明のせいもあるけれど、五十三歳の母と二十五の夏夜の印象はほとんど変わらなかった。
「看護師さんが来たので失礼したの」
 母は答えた。わたしたちの住む神奈川の香枕から、ここ信州杏澄野は遠い。今日の夜明けに、母とわたしは交互に車を運転して五時間ほどかけてここに来た。母は今夜この近隣に住まう歌人仲間の家に泊まる予定だが、わたしはすぐに帰るつもりだった。もう午後二時を回っているから、わたしにはあまり余裕がない。
「詩杖ちゃんは?」
「花の補給にもうじき来ると思う」
「花の補給、毎日?」
 わたしが問い返すと、夏夜は半分困ったように、
「水替えだけでも大仕事なの。お母さんは適当でいいって言うけれど、ちゃんと切り戻しをしないと、匂いがすぐに変わっちゃうから。夏だし。百合は長持ちするので助かるの。茎もいたまないし。香りがきつくても、品種を選べば」
「詩郎さんがそうしろって?」
 母が尋ねた。夏夜はこくんとうなずき、
「最期までちゃんとやれって」
「それ、誰のこと?」
 母の眼がきつくなった。夏夜は臆せず、
「お母さんと、お花」
 と応えた。
 おねえちゃん、と声がしてエレベーターではなく、階段へ続く廻廊の向こう側から詩杖がやってきた。袖なしの白いワンピースを着ている。うすい夏物のふわりとした裾がきれいだ。姉と同じように片手に花束。こちらはガーベラだった。オレンジとピンク、赤、それから青い風鈴草。すこし騒々しい彩りだ。
 詩杖は地元の短大を出た後、杏澄野市内の書店に就職していた。そこはギャラリーも開いていて、詩杖はそちらで働いていたのではないかと思う。彼女自身もいわさきちひろを模したような水彩画を描き、ただ彼女は人物ではなく、もっぱら草花を描いていた。
 おねえちゃん、という詩杖の声が聞こえたとき、わたしは、そしてきっと母もどきんとした。芙蓉さんが今日最初に母に呼びかけた声にそっくりだったから。
 詩杖は顔も芙蓉さんに似ていた。芙蓉さんに似ていて、わたしの母にも似ていた。詩杖は、わたしたちが集まっている少し手前で立ち止まり、こういった。
「紗縒さん、透姫ちゃん、おねえちゃん、それから」
 眼の前にあつまった親族をじっと眺めて、真剣な困惑が姪の顔にひろがるのを見て、母はさらりと言った。
「わたし、分裂したのよ」
「詩杖ちゃん、誰が見えるの?」
 母とわたしの言葉はいっしょに出た。夏夜は眼をみはり、
「何のこと?」
「もうひとりわたしがいるの」
「どこに?」
 夏夜はそう尋ねるしかなかった。わたしは詩杖に向かって、
「もうひとりは、どこにいるの?」
「みんな見えないの?」
 詩杖はまじめに驚いていた。
「見えません。でもふうちゃんはさっきそう言ったの、あたしがふたりになったって」
「おねえちゃんにも、透姫ちゃんにも見えないの?」
「そう。だからどこにいるの?」
 詩杖は長い睫毛をゆっくり一度まばたきさせ、花を持っていないほうの手で、母とわたしの間をさした。
「そこにいるわ。紗縒さんにそっくり。あ、行ってしまう。待ってください」
 母とわたし、夏夜は詩杖の示すうしろがわをふりかえった。そちらの廻廊は今来たばかりの芙蓉さんの病室へ続くゆきどまりだった。いちばん奥まで、薄緑いろの廊下がまっすぐに続いている。一定の間隔で病室の白い扉。今そこを通るひとはいない。詩杖の眼はたしかに、そこを歩み去る誰かの姿を、そのひとの歩調に合わせて追っていたが、足音ひとつわたしたちの耳には聴こえなかった。
 あ、と詩杖は声をあげた。
「もうひとりの紗夜さん、今お母さんの部屋に入った」
 わたしたちは叔母の病室の前の空白を見つめた。ふいにすっと白いドアが開いた。息を呑んだが、ピンクのユニフォームを着た看護師が銀色のカートを押して部屋から出てきた。わたしたちには、それ以外何も見えなかった。
 顔を見合わせて、誰も何も言わない。母も夏夜も曖昧な顔で笑っているように見えた。ほんとうは笑いごとではないのだろうが、こんなとき血相変えて騒ぎ立てるようなわたしたちではなかった。歌人水品紗縒は美しい変人として知られ、娘のわたしに対してさえ感情の破綻を見せない筋金入りのアイスドールだから、他人に対しては推して知るべしだ。
もっとも彼女は周囲に邪険だったわけではない。夏夜詩杖姉妹は、幼いころ両親の生理的精神的ゆきちがいのために、父親の実家の禅寺で育った。育てたのは、詩郎さんの弟の住職で、一生清潔に独身を貫いている。姉妹は伊那の古刹で、幼児期からたっぷりと幽霊心霊なんでもござれの超常現象に包まれて育ったから、臨終間近い母親の病床で、伯母のドッペルゲンガーに遭遇しても、今さら目新しくもなく、たいして驚けないのだろう。わたしは詩杖に尋ねた。
「芙蓉さんの部屋に入ったほうのお母さん、どんな感じだったの?」
「紗縒さんと同じよ。服も髪型も」
 夏夜と同じくらいのセミロングの髪型はともかく、母は琉球上布のワンピースを着ていた。琉球紗、というのだそうだ。黒っぽく,目のあらい南国の薄物で、もと母の母の和服だった。たいへんに高価なものだったらしいが、母は着丈も裄も自分に合わないといって、惜しげなく袂と裾を切り落とし、膝上までの洋服に仕立て直してしまった。襟を縫いつめて、胸元に上布の風合いとは異質な桃色のタイシルクを使っている。渋い上布にタイシルクの派手な光沢と桃色はアンバランスだが、皮膚の色が白すぎる母にはこの破調が却って生気を添え、よく似合った。彼女自身のオリジナルデザインなのだ。こんな衣装は誰も着ていないから、芙蓉さんの病室に消えていったのは、やはりもうひとりの水品紗縒に違いなかった。
「もういちど、ふうちゃんの部屋に戻る?」
 わたしは母に尋ねた。
「戻っても、ねえ。わたしには見えないのだし、その、もうひとりのわたしが」
 母は汗も掻いていないのに、手提げバッグから扇子を出し、ぱらりと顔の前でひろげた。香木を結った中国のお扇子は、去年上海で買って来た。ややこぶりだが、要には象牙と翡翠の小さな蝙蝠が象嵌されている装飾品で、レース編みのような透かし彫りの翼で作られる風はふんわりとよい香りがする。
「ドッペルゲンガー、わたし初めて見たわ。幽霊にはたくさん会ったことがあるけれど、ほんとうに紗夜さんとそっくりだった」
 詩杖は興奮気味に言った。白い頬に薄く血の気が昇っている。母を三十年若くしたら、詩杖になるのだろう、とわたしは従妹を眺めた。造作だけでなく、髪の生え際から皮膚の質、手や指のかたちまでよく似ている。ポール・デルボーの女性像をひとまわり痩せがたちにして、瞳の輪郭も和風に小さくしたら、きっとわたしたちの姿になる。わたし自身も母親似だから。薄青い、影のない清潔な入院病棟で、四人ないしは五人、ドッペルゲンガーの母親を加えたら五人、芙蓉さんの病室に戻るなら六人。人並み以上にきれいな女たちがうすぼんやりと集まって、現在進行形の心霊現象を冷静にひそひそと話している、などはまさにシュールレアル、超現実、とわたしは自分たちの姿を遠くから眺めた。
この画面をそのうち作品にしよう。わたしは美大を出たあと、美大予備校のアシスタントや、高校の非常勤講師をしながら自宅で制作していた。母がそこそこ名の知られた歌人で画家というのは、風来坊すれすれの娘にはありがたい七光りだった。
「なんで詩杖にだけ見えて、あたしには見えなかったの? お母さんにも見えたんですか」
 夏夜は不服そうだった。
「それはわからないけれど、こういうことは理屈じゃないから」
 母はゆったりと扇で顔をあおぎながら応えた。
「とにかく、ここで立ち話は邪魔ですよ。あなたたち、お花を活けてきて。あたしと透姫が戻るのも、なんだか変だもの」
「そうですね。だったら正面エントランスに待っていてください」
 詩杖が言った。彼女は芙蓉さんの病室に早く行きたそうだった。
「紗夜さんのドッペル、まだいるかも知れない。お母さんに見えたなら、ふたりで仲良くお喋りしてたりね」
「まさか、でもありえる」
 わたしは噴出した。のどかな会話だ。たしかドッペルゲンガー現象は、死に近いひとに出現するという迷信もあるのではなかったろうか。母がそれを知らないはずはない。歌を嗜む女性らしく、彼女は占星術やタロット、それから夢や幽霊話が大好きだった。そういえば芙蓉さんは、さっきまさに言っていたっけ。自分のあとにもうじき母がやってくる、とか。もうじき死ぬと言われたのに、母はちっとも動揺しなかったな。
 夏夜と詩杖はそのまま芙蓉さんの病室に行った。部屋中の生花の水替えを済ませるには、ふたりがかりでも、たっぷり三十分はかかりそうなので、母とわたしは病院の待合室を出て、建物の周辺の緑道をぶらぶらと歩いた。人工の雑木林には、信州という土地柄らしく白樺がたくさん混じっていて、自然木を使った柵や歩道、ところどころに設けられた小さい児童遊園のような広場には、白樺林の木の間から、晩夏のひぐらしの鳴き声と夕翳が降りてきていた。ひぐらしのリエゾンと、雑木林の影の揺らぎとは同じリズムで地面に揺れ動いていた。
緑陰のあちこちに病院のパジャマを着た入院患者さんが散歩に出ている。介護士に車椅子を押してもらってそこらをひとまわりしている高齢者は、たぶん長期の入院患者さんだろう。午後まだ夕涼みには間がある時刻だが、湿度の少ない暑さは関東とは肌合いが違ってさらりとしのぎやすかった。
「お母さん、ドッペルゲンガー、こわくないの?」
「こわくないわね。もうひとりのあたしは、今頃病室でふうちゃんと詩杖とおしゃべりしてたりして」
「夏夜ちゃんは」
「見えないんでしょ。心霊現象ってそんなものよ」
 母は顔色ひとつ変えていなかった。
「ふうちゃんは、小さいころからそんなことに時々出くわすタイプだったから」
「初めて聞いた、それ」
 わたしが覚えている芙蓉さんの記憶は、おっとりと、平凡に清楚だった。平凡、という言葉のニュアンスはあまりよろしくないのだろうか? たいらかにおおどか、と言い直すならわたしの感じる彼女の雰囲気をよく伝えられそうだが、こんな形容は一般的ではない。芙蓉さんは、日常の出来事を過不足なくまとめてゆくひとのように思えた。事故や災難があっても、芙蓉さんは自分の内部の水面を騒がせることなく処理していただろう、ああ、そうか、彼女にとっては日常も非日常も地続きだから、時々お化けを見たとしても、キッチンでうっかり茶碗の縁を欠いた、ぐらいのことでしかないんだろう。
 わたしはドッペルが死に近いひとに出現する確率が高い、という信憑性に乏しい噂には触れなかった。
 母は歩調を少し早め、歩道から逸れて、木蔭の下に据えられた木のベンチに腰を下ろした。麻の手提げから手帖とペンを出して、ボールペンのヘッドを噛んだ。頭の中で歌が煮詰まったときの彼女の癖だった。水品紗縒は娘のことなど頓着しない。もっとも紗夜のままであっても同様だった。
「できた」
 たいして手間取るでもなく、さらさらと走り書いて五分後に顔をあげた。我が母ながら、そのときわたしに向けた表情のみずみずしさには見惚れてしまった。色が白い上に、五十代というのに、このひとの顔には、目に立つ皺がほとんどない。豊麗線、頬麗線、どちらでもいいが、このごろやたら化粧品広告の惹句に目に付く、文字面おおげさな加齢現象も母にはない。目元も口許もきれいなものだ。それは芙蓉さんも同じだから、たぶん水品の女たちの遺伝形質だろう。わたしはうれしい。将来必要な化粧費用には、格安保証がついている。
 この母が内面のインスピレーションに任せて浮世を離れ、詩歌や色彩で心を埋めているときは、すっかり少女の表情に戻ってしまうのだった。それこそセンチメンタルな言い方だが、そうとしか表現できなかった。顔の表情筋の使い方は、往々にして皺やたるみの原因だから、母の顔がいつまでもすべすべして和製デルボー、年齢不詳で通せるのは、無時間無重力の詩歌空間に浮遊している物理的時間がながいせいかもしれない。
母も、芙蓉さんも。芙蓉さんは芸術インスピレーションではなく、幽霊たちと仲良しなのか。とするとインスピレーションとオカルトは地続きなのかな。どちらも人体のアンチエイジングにはプラスだ。
「どう?」
 母は無邪気にうれしそうだった。
「うん」
 わたしはうなずいた。いつもこんなふうに無造作に水品紗縒は歌い紡ぐ。死に近きひとあらふごとひぐらしのこゑ樹に満ちて娘が立てり。
「いいんじゃない。でも、いいのかなあ」
「なにそれ」
 わたしは母の顔を眺めた。意識して、心理的に距離を置くように母親を見つめた。瀕死の妹を見舞ったあと、その印象を歌う、というのは自然な態度だと思うけれど、こんな歌い方は冷たい。母の詩には、肉親を想う哀しみよりも、すでにむこうがわ、死の世界に浸り始めているひとを、ガラスの橋がかりを隔てて眺めている印象がある。死をひぐらしの鳴き声の修辞にしてしまうなんてね。〈娘〉はわたしだろうけれど、現実のシチュエーションでさえ母の旺盛な創作材料に使われてしまった気がする。芙蓉さんさえも。
この歌はたぶん、ふつうに…新聞や雑誌に投稿されている作品のようにわかりやすくはないけれど、この距離感がこのひとの精神世界なんだろうな、とわたしはいっぱし頭のなかで批評めいた感想をまとめたが、口には出さなかった。
「お母さんらしい」
「ふうん」
 母は手帖を閉じ、手提げにしまった。わたしの感想は適切だ。そのひとらしい、という言い方はよくもわるくも、ちゃんと相手を認めているという意思表示だ。ゆるくひろくあなたを受け容れる、みんなが居心地のよい、なんでもありのラブアンドピース。 

スポンサーサイト

Comment

鳥居青 says...""
霜月は死者恋ふる月うすぎぬを被けば我も世界も蒼し


エロスとタナトスの一切の世界。情感を昇華させた、なんて素敵な歌でしょう。
2014.01.16 23:56 | URL | #- [edit]
夢の says...""
鳥居さま

 ありがとうv-11
2014.01.20 12:16 | URL | #hzv21hlU [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://donanobispacem717.blog.fc2.com/tb.php/40-3a0aa73f
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。