さゆらもゆらに水晶虹彩

時間と空間のむこうがわ……夢うつつのはざまに揺れて透かし見える水晶虹彩のものがたりをつむぎます。

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星月夜  vol 5 妃翠房

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   妃翠房(ひすいぼう)

 翡翠なす冬の祈りに聖壇になほひと恋へば血など怖れぬ。母の生前最終歌集『紗女集』に収められなかった歌を集めて、それとは別に拾遺集を編む計画が出版社との間で進んでいた。母の部屋を少しずつ整理しながら、直筆で何冊も丁寧に綴じられたノートの頁をはらりとめくって、偶然この歌を眼にしたわたしは反射的に、東京スタコラーズのパーカッション冬狼を連想した。
血のいろをした瞳。純白の髪。今年九歳という冬狼は本名で「とうる」と読むのだそうだ。彼はアルビノだった。ライトの加減で滴るルビー色に輝いた瞳は、そのあと光線が変わってカクテルになると、血色をひそめてびいだまのような淡色に溶けた。あるいは風の途絶えた雪催い、しいんと物音を消した冬空のような灰いろに見えた。
クリスマスイヴの今朝、わたしは早くから鹿香の店に来て、年明け早々の母の追悼歌会の準備と、拾遺集に載せたい歌の整理などを始めようとしていた。母は香枕のマンションよりも、店の古民家を気に入っていて、二階の祖母の居間の隣に自分が寝泊りする小さな部屋を設けていた。歌を書きとめたノートなどは、ここにまとめて積んであった。
窓ガラスを透かして白い空が拡がっている。気象情報のとおり、イヴの今日は、午後からきっと雪がちらつくだろう。穏やかな湘南に積雪はまれだが、それでも雪の降る前には大気の凝った底冷えが、暖房した室内にいても膝元に忍び寄ってくる。
 冬狼の眼のような空のいろ、とわたしは歌ごころならぬ絵心それに小雪を待つ心といっしょに、東京スタコラーズのライブを思い返した。
 白っぽい寛衣をまとった天使の似姿の冬狼以外のメンバーは、緋郎を含めて受付の女性と同じような白いシャツに黒いスラックスを穿いていた。パーカッションのソロのあと、ステージ全体が明るくなると、口紅と同じ眼にしみるスカーレットレーキのロングドレスを着たアフリカがピアノの手前中央に立ち、周囲に無彩色の衣装を着た少年乃至青年それからベースが並んでいた。
「アンジーって、あのひとですね」
 乃菜がまた眼をまるくした。ウッドベースを携えたアンジーはバンドの中でただひとり、舞台上で煙突のような黒いシルクハットを被ったままで、衣装とはどうにも不釣合いにつやつやした絹の帽子の端から、白とオレンジ色の混じる髪がはみ出ていた。
「七十歳くらいじゃない」
 美於さんの推量。にこにこと血色のよいアンジーは背筋をちゃんと伸ばし、奏でるというよりも、長い楽器につかまりながら、ただ指で弦を揺すっているという印象の、つまりいかにも素人っぽいぎこちなさを隠せない男性だった。アンジーがへたくそなのは耳で聞くよりも、舞台に登場した瞬間の緊張ぶりで一目瞭然だった。
「あれ、パン屋の親父なのよ」
 ジンさんが、またも訳知りに解説をくれた。
「パン職人としては一流なのね。うまいよ」
「彼も…友達?」
 お父さん、とは呼べずに、半ばですこし詰まってしまうわたしの問いに、ジンさんは笑って
「ジンさんでいい。無理するな。あれ詩人仲間。かれこれ半世紀近くのつきあい」
 アンジー以外の演奏は、それぞれすばらしかった、と思う。緋郎がいつから軽音楽にはまったのかわからないが、ジャズ独特のスウィング感をよくこなしていた。パーカッションはたぶん緋郎が昔そうだったように神童に違いない。アルトサックスとテナーを時々持ち変えて演奏する鬱金平八郎くんは、おじさんぽい名前からの予想を裏切って、やはり二十歳前の青少年で、この子は今夜だけの特別
演出なのかどうかわからないが、髪と眉毛をパンクロックまがいに真っ赤に染めて、頭上高くたてがみにしていた。この子もうまい。マイルス・デイヴィスのレパートリーをカバーした演奏のときは、フルートと主旋律をうまくかけあいながら繋いでゆく。インストロメンタルのとき、アフリカは歌わないで、ステージから大きくはみだす感じで、たくましい漆黒の胸や腰を揺すって躍っていた。胸の大きく開いたアルマーニふうのシンプルなドレスだ。すごいなあ、とわたしは彼女の肉体に見惚れる。長い手足、内側から精気があふれて弾けそうな漆黒の胸。サイズはどのくらいだろう。アフリカの胸にわたしが両腕をまわして抱きしめても背中で握手は難しそうに見える。
 リーダーのフルートが一番舞台馴れしていた。終始楽しそうに笑っているこどもの冬狼を除く他のメンバーがほとんど客席に視線を向けないのに、豹河だけはのびのびと、金いろのフルートを吹きながらステージの上を気ままに移動し、彼のファンらしい誰彼に演奏のはざまで器用にアイコンタクトし、愛想をふりまいていた。名前のとおりに彼の金髪には豹紋が染め抜かれ、後ろでひとつに束ねた髪は長く腰まで伸びていた。それが獣のしっぽのように見えたりした。
「みんないけてるわあ」
 美於さんは関西訛りの声でうれしそうに言った。するとカウンターに座っていたガーネットさんが、シャンパングラスを持ち上げ、人形のような頬にほのかな笑窪を浮かべてこちらを見た。
 東京スタコラーズの中で緋郎の髪だけが地毛のままだった。冬狼くんも地毛だが、演奏中はアルビノとはわからず、染めたのではないか、とわたしたちは思っていたのだった。
「ジャズって全員ソリストなのね」
 わたしがつぶやくと乃菜は、
「全員主役って感じですよね、このグループ特に」
「うん、みんな俺が俺がって自己主張してる」
「若いんだよ」
 とジンさんがくくった。
「自己主張いっぱいで、相手に喋らせる余裕なんかないだろ。唯我独尊。年喰ってくると、適当にすきまを作って話にゆとりを出そうとする。ジャズって音楽なんだけど、まあ、プレイヤーの喋りみたいなもんじゃない? スゥィングって話術だね」
「また、どこのうけうりなのよ」
 とガーネットさんがまぜかえした。ジンさんは澄まして、
「アンジーから」
 アンジーは餡爺だと後で聞いた。餡パンをこしらえる爺さん、と自分で芸名をつけた。アンジーは熱海で奥さんといっしょにパティセリーを開いている。奥さんがケーキを作り、彼はパンを焼く。ベースを始めたのは十年くらい前からということだった。
 …。
 今夜、ジンさんが鹿香にやってくる。この店を「妃翠房」と付けたのはジンさんと知ってわたしはしみじみ、人はみかけによらない面があると思った。ゲンズブール崩れ、アナーキーまるだしの不良中高年、いや三十年前は青年だったジンさんのどこに「妃翠」などという高雅なボキャブラリーがあったのだろう。でも嘘かもしれない。
銀座で遊びのようなギャラリー経営をしているジンさんの財布のなかみはわからないが、彼の暮らしぶり、雰囲気から富裕とは言えないまでも、金に困っているという印象はなかった。ジンさんの実家はどういう筋なんだろう、とわたしは母の日記のような昔の歌ノートを眺めながら考えた。ジンさんの両親、ということは水品ではないわたしの祖父母だ。
気まぐれで我意を曲げない水品紗夜がよい嫁であったとは思えない。まだ二十代後半に上梓した彼女の第一歌集を探ってみても、家族や夫、生活の気配は皆無だった。ただ恋歌。読者がたじろぐほどの華麗な恋歌。いったい誰への? 青年時代のジンさんの写真を見たいと思った。できれば母とジンさんが並んで映っているものを。
 雪の夜は世界閉ざしてうつくしく互ひの声を呑みて溺れむ、とあまやかな母の草稿に目をすべらせ、それからまた小窓越しに空を眺める。
降誕祭前夜、しっとりと薄墨いろに厚い冷気の上天から、ひらりと舞いくる雪の気配を、わたしは母の歌を通してさらに強く待ち望んでいた。共寝を誘う母の歌。わたしの父親、ジンさんを呼んだとは、なぜか、どうしても思われなかった。あるいはジンさんであって欲しくないのかもしれない。アナーキーで投げやりな実父の印象に幻滅したわけではないが、どこかひやりとした爬虫類のような美しさを死ぬまで保っていた水品紗縒と、肉体の芯までぬくぬくと、つかみどころのない熱に酔っている愛部仁氏とが、互いの呼吸を分け合うほど烈しい溺れ方をしたとは、二人の娘であっても思えなかった。そんな濃い夜を味わった後に分かれた夫婦なら、たぶん二度となまぬるい時間を共有するなどということはできないのではないだろうか?
 それともできるのだろうか? 男と女とはそんなに適当でいい加減で、刹那の快楽でつながってゆかれるものだろうか? 第一歌集を出したころの母と同い年になっていたが、わたしには当分そんな情熱の瞬間は来ない。
 とはいえ、こんなことを考え迷う二十七歳半のわたしは、もしかしたら当時の母よりも純粋なのかな、と都合よく自己肯定に傾いた時刻に、階下に乃菜が出勤してきた映像がセコムの画面に映った。十時半。妃翠房の正規の開店は正午だが、何人かの雇い人たちには、遅くとも一時間前に来てもらうことにしていた。三人の店番の女性たちは、それぞれ善良でまじめだが、まだ学生で自由のきく乃菜が一番楽しそうに勤めてくれる。他の二人は三十代、みな子持ちの主婦だった。
「おはようございます」
 階段から乃菜といっしょに香ばしいコーヒーの香りが登ってきた。とん、とん、と軽い足音、廊下を隔てる襖障子にノックはなしに、失礼します、と向こう側でことわってから彼女が入ってきた。
「今日、ジンさんが来るの」
「え、あの…」
 乃菜は言葉を捜してちょっとはにかんだ。
不自然にならない程度の言葉の隙間のあと、
「よかったですね、透姫子さん、お父さんが現れて」
「そうね」
 乃菜の顔に他意はなさそうだった。ジンさんは彼女にどんな印象を残したのだろう。
「やさしそうな、感じのいいひとでした」
「やさしいかしら。やさしいひとがお母さんといっしょになるかなあ」
 こんなわたしの感想のほうが乾いている。そうだ、優しい男性だったら水品紗縒と永くは生活できないだろう。いやその逆かも。わたしにはジンさんが優しい男にはちっとも見えなかった。母と同じくらい我儘で、彼自身の好きなことしか心と体を動かしたがらない人生を歩んでいるひとに思える。もしかしたら母よりさらに強烈な自意識を蓄えているひとかもしれない。ジンさんに包容力があれば、結婚生活は、たった二年間よりもうすこし長持ちしたのではないだろうか。
「ひとがやさしく見えるのは、乃菜ちゃんがそうだからよ」
「そうですか?」
 乃菜はころころと笑った。化粧っけのないピンクいろの頬がつやつや光る。そういえば、乃菜がこの店で働き始めたころに芙蓉さんが亡くなり、それから毎年従妹たちがこの世を去っていった。でもそれは乃菜の登場とは無関係だ。
「なんだか透姫子さんの話し方や声、紗縒さんに似てきたみたい。あたし心配しちゃう」
「ほんと? 心配? なんで?」
 母親似は生まれたときからだ。乃菜は小首をかしげて
「うまく言えないんですけど、店長が店にいらっしゃると、もうそれだけで周りの空間が別世界になったって気がしてたんですよね。紗縒ブランドだから良かったんですけど。でも透姫子さんくらいの年齢でそんな雰囲気身に付けちゃうと、あたしコワイかも」
「それ、人生を見通した女性の言う台詞みたいよ」
「そうかなあ。みんなも言ってますよ。百合原さん、綴さん……」
「ふたりならわかる。ふたりともアート系主婦だから、自分と似た波長をつかまえるんじゃないかな」
 百合原香寸(ゆりはらかず)、綴荻(つづりをぎ)、お店でアルバイトをしている女性たちだが、芸術仲間と表現するのは大袈裟な、母の友人だった。母はこの二人を「遊び友達」と言っていた。芸術、という単語は彼女には重く、疎遠な語感だったようだ。
百合原さんは染色作家で、綴さんはジュエリーデザイナーだった。ふたりとも主婦業の傍ら制作し、妃翠房で自作を売っている。妃翠房で乃菜がよく着ている加賀友禅に片身変わりの甕覗きは、香寸さんの作品だった。
「プレゼント商品、まあまあ出てますね」
 乃菜が言った。観光地の古都鹿香の妃翠房では、ジュエリーにしても染色にしても、作家作品と呼べる高価な品は滅多に売れないが、一般観光客向けのほどほどの小物はよく動いた。祖母の時代でも呉服反物は相応の顧客筋があり、一見のお客はまずなかった。クリスマスプレゼント向けの、ささやかで可愛らしい袋物、半襟、ガラスの簪、アクセサリー。お小遣いの範囲をすこし逸脱するくらいの値段で、質のよい作品を出すという母の舵取りは、ほぼうまく行っていた。ある程度精神的にも物質的にも余裕のあるひとでないと、サヨリブランドの品々には食指が動かない。衣装や持ち物は、そのひとの人生に呼応する。…。それは母のつぶやきだった。
「これ、クリスマスプレゼント」
 わたしは母の文机の引き出しから乃菜に渡した。この文机は、祖母の使っていた百年家具だ。
「あたしじゃなくてね、お母さんが選んでいたのよ。ほんとに気まぐれなんだか律義なんだかわからないけれど、今年のみんなへのプレゼントまで、彼女用意してくれてたの」
 ええ、と乃菜は驚きとうれしさがいっしょになった表情を明るく顔にひろげた。
「開けていいですか?」
 もちろん、とわたしは言い、乃菜は赤い包装紙を丁寧に剥がした。包み紙は、鹿香八幡宮前の商店街の手漉き和紙店のものだ。厚めのハードカバーほどの大きさの中身は、色とりどりの縮緬押絵を表に細工した桐の手文庫だった。押絵の意匠は貝合せの蒔絵を模した手の込んだ工芸で、一見してアンティークな布の染め模様から察すると、関東ではなく、たぶん京都の品だろう。
桐柾目のすがすがしい文箱の蓋を乃菜が開くと、まあたらしい桐の匂いと伽羅の香りが、冷えた空気につんとたちのぼった。箱の中に母の直筆一葉でも、とわたしは半分予想したが、なにも入っていなかった。乃菜にそこまで心をかけては鬱陶しいと思ったのだろう。けれども、香寸さん荻さんには残しているかもしれない。そちらへの贈り物は、まだ引き出しの奥にある。明日あさって、彼女たちには渡す。

妃翠房の一階店舗は、玄関をあがってすぐの八畳と六畳をひとまとめにしたフロアリングにいろいろを並べていた。ひとつの壁際に百合原さんの染色タペストリーがずらりと掛けられている。茜、藍、黄蘗(きはだ)…自然の染料からこっくりと染め上がってくる彩りは、心に滲みる鮮やかさと、たとえ強い色彩であっても一味渋い深さで、視覚を労わってくれた。日常の暇ひまに香寸さんは、主に丹沢や信州の山間部まで足を延ばし、従来の染料の色味を微妙に変えるさまざまな植物を採集していた。紅を出そうと思っていたのに、染め上がった布が実にさわやかな青磁と露草いろのグラデーションになってしまったり、思いがけない試行錯誤を繰り返しながら、自分の色を探ってゆく香寸さんの姿は、やはり母に似ていた。
「いい色だね」
 ジンさんは店にやってくるなり香寸さんの壁飾りに近寄り、天井から吊ってある何枚かを触ってつぶやいた。こちらへのことわりもなしに、麻や絹のそれぞれを、両手に挟んで感触を確かめている。
「作家の心が色に入ると、こうして触ったときに温度を感じるんだよね」
 緑茶を運んできた乃菜が、
「店長もおっしゃっていましたよ」
 フロアの真ん中に二畳敷きの敷物をしいて、祖母か母が韓国で買ってきた、紫檀に螺鈿細工の応接セットを置いていた。卓の縁や長い脚のいたるところに絡む青貝の幾何学模様は、日本の鱗文に似ている。わたしは乃菜に言われてしまった内心の驚きを、口に含んだ緑茶の香気でごまかした。
「雪が降ってきました」
 水場に戻った乃菜の声がきた。初雪ですね。
「店長って、紗夜だろう」
 ジンさんは壁際からわたしをふりかえった。
わたしはうなずき、もういちど、
「お母さん、百合原さんの作品は、手にしたとき、それぞれの染め模様や色の具合で、感じる温度があるって」
「工業製品と手染めは色の奥行きが違うんだ。
手染めならぜんぶ奥深いかっていうとそんなことはないがね」
「ジンさん、絵描きで詩人?」 
 口にしてからわたしはちょっとぎょっとした。それって、わたしのことでもある。ジンさんはすかさず、
「絵はもう描かない。俺、才能ないからね。描けばうまいけど、才能とは別だ」
 わたしの前に腰掛けたジンさんは音をたてずに玉露をすすり、黒文字で丁寧に上生をふたつに割った。寒椿、というほの赤い玉菓子の中には黄身餡と抹茶いろがほんのりとしたのの字に練りこまれていた。
「この前ここに来てからずいぶん時間がたったな」
 ジンさんはからだをよじり、背もたれに肘をついて、足を組んだ。膝の上に乗せてぶらぶらさせているジンさんの片足からボアスリッパがはたりとペルシャ絨毯に落ちた。え、彼のソックスの模様はミッキーマウスだ。紺地に赤と黄色。星条旗のはためく足首から甲にかけて、ミッキーマウスが腰に手をあて決めポーズ。このど派手な靴下と、キアロスクロで会ったときよりもっと伸びている顔の無精ひげ以外、ざっくりしたフィッシャーマンセーターにダウンジャケットを着てきたジンさんの身なりは質がよく無難だった。手染め色彩の奥行きを語るジンさんのソックスは、十歳の男の子でも穿かないような原色ミッキーマウスか。笑いがこみあげる。意図したギャグなんだろうけれど、この落差が彼の色気だろうか。
 娘の観察を知ってかしらずか、上半身を斜にひねったジンさんの視線はタペストリーとは逆側の縁側に向いた。座敷から続く板の間の縁側はリフォーム前の木材をそのまま残し、庭から陽射しのたっぷりと来るこちらには、母の丹精した薔薇の植木鉢が大小たくさん並び、その合間には場所塞ぎでない程度に現代作家のさまざまなオブジェ群が無造作に置いてある。縁側の天井の木組みは外して、ガラスが張ってあるので、ちょっとしたサンルームになっていた。百合原さんや綴さんは香草が好きで、染料にする植物や、ハーブなどもここで栽培していた。
冬の今も薔薇の木や香草の何種類かは青やかに枝葉を伸ばしている。マダム・サチという淡色の薔薇を母は好んで長年育て、その木はこぶりながら蕊の厚い花をいくつもつけていた。新年にはひらくだろう。
餅花のような薔薇の莟とハーブの群落の向こう側に、しだいに烈しくなる降雪が見えた。寒くなると蒸気でガラス窓は雲ってしまうのだが、温室のグラスウォールは内部に抱える植物の呼吸のためか、外気が相当冷え込んでいても曇りが少ない。
「まだおばあちゃんが生きていたころ?」
「うん。結婚するって挨拶に来て、頭のてっぺんからつまさきまで、君のおばあさんに点検された。まいった」
 幼児がべそをかくように顔をしかめるジンさんの表情がおかしくてわたしは声をあげて笑った。
「想像できる。きびしいひとだったでしょ」
「ああ、じつによくできた女傑だね」
「それはオーバーじゃない」
「いや。紗夜が妃翠房たちあげることができたのも、桔梗さんの地ならしのおかげだからね」
 ジンさんの口から祖母の名前が出たとき、わたしは見知らぬ女性の噂を聞いたような違和感を感じた。水品桔梗さん。夫が早くに亡くなったあと、財産をきちんと整理して商売を始め、浮沈さまざまを経て、最後はちゃんと元手を肥らせ娘ふたりに遺した。制約の多い昔に、女手ひとつでそれが出来たのだから、桔梗さんを「女傑」というジンさんの形容は正しい。たぶんジンさんは先祖の残した家財を消費してゆくタイプだろう。母も。母に妃翠房が残されたのは幸いだった。
「ジンさん、どうしてここを妃翠房ってつけたの?」
「紗夜が翡翠を好きだったからよ」
 ジンさんはぼりぼりと頭をかいて、足元にまるめたダウンの内ポケットから、小さい紙包みを出した。トレーシングペーパーのような白い薄紙だ。あれ、樅の木のシールが貼ってある。
「君にプレゼント」
 無造作に包まれた薄紙をひらくと、中身はさらにふわりと真綿で厚く覆われている。真綿をひろげるとひと眼で江戸期のものとわかる金銀簪だった。毛彫りの見事な橘で、実は翡翠珠だった。しかも翡翠の中でも透度の高くあざやかな琅玗(ろうかん)と呼ばれる種類で、簪として現存する良品は数少ないと思う。てのひらに載せると、軽い現代の髪飾りを扱いなれた手に、骨董品の金銀簪は見かけよりずっと重い。
「これは?」
 しかるべき筋で取引するなら上質の琅玗は同じ大きさのエメラルドと同じくらい高価なはずだ。
「紗夜からね」
 ジンさんはちょっと言葉を捜し、
「預かってたの。別れたときにさ」
「じゃ桔梗さんの?」
「いや、紗夜のだと思う」
 わたしは掌の上で、翡翠玉の工芸品を揺すった。ひやりとした金工の緻密な感触が好ましい。簪の質量はそれを挿す髪の重さに比例する。現代日本女性の軽い髪では、こっそり付け髪でも加えないかぎり、江戸や明治の華美な金銀簪を支えられない。死ぬまで地髪を豊かに保った母なら似合ったろう。芙蓉さんも母も、黒い髪をとても大切にしていた。母は五十代に入ってから、黒髪は自分の年齢肌には不釣合いになってきたと言って、すこし明るい褐色に染めていたが、パーマはついにかけなかった。
 わたしは残念ながらジンさんに似て、柔らかい赤毛だった。まっすぐなほそい毛は素直だが、束ね髪をくるりと手に巻いても、芙蓉さんや母のようなしっとりした日本女性らしい量感には届かない。
「透姫子なら似合うよ」
「ありがとう」
 お世辞でもうれしい。金銀簪といってもこの細工は地味でこぶりだから、注文した女性は日常のおしゃれに飾ったものだろう。珊瑚珠は姫様嬢様、翡翠平打ちは奥方御内儀様に。祖母と母の声がかぶる。平打ちは主に銀製の、丸く薄い透かし彫り簪のこと。若い女は紅、年を重ねたら緑。いにしへの色分けは、歌舞伎や能の装束と同じだ。
じっさいはそれほどきびしく区別されたものでもなかったろうけれど。わたしは二十七だから、昔ならもう大年増か。新年には二十八になる。やってきた翡翠珠を飾ってもちっとも不釣合いではない。お正月には母の紬でも着ようか。…。翡翠珠を眺めているうちに、また冬狼を思い出した。深い翡翠に対比される鮮やかなスタールビーの眼の男の子。
「気に入った?」
 ジンさんはにやにや笑った。思わせぶりに
呆れた。彼は九歳よ。
ライブが終わったあと、神がかり的なドラムテクニックの持ち主は、わたしたちのところへやってきて、ヴィクトリア朝の天使そっくりな顔で無邪気に苺ショートケーキを頬張っていた。間近に見ると、冬狼の眼は赤くはなく、澄んだ灰色なのだった。色素の少ない赤ん坊に狼、と名づけたのは親御さんだろうか。こどもの眼はたしかにそのとおりだった。
「どういう家の子なんだろうって。やっぱり絵心を誘われる。絵になる子」
「モデルに?」
「モデルっていう物理的な対象でなくても、内面のファンタジーをかきたてられる」
「ああ、あの子は一種の」
 そこでジンさんは言葉を切った。わたしは彼が急いで伏せた単語を察し、原色ミッキーマウスと日本の伝統色彩を躊躇なく共存させ、高価な翡翠細工をトレーシングペーパーにがさりと包んでくる実父のキャラクターノートに好意的な記録を加えた。
「名家の子なんだと。名家って言っても政治家とか旧財閥とかじゃなくて、その、まあいいか。伝統芸能の家」
「歌舞伎?」
「いや、能の囃子方」
「ジンさん意外な人脈持ってるのね」
 まあね、とジンさんはつぶやき、お茶もういっぱいお願いします、と言った。
「お能好きよ。お母さんと時々観にいった。短歌の長老世代って、お能好きなひと多いみたい。若手はどうかわからないけれど」
「鳳凰流に知り合いがいるんだ」
「それじゃ、そこの?」
「だろうね。連れてきたのは宗家の息子なんだが、賢いからあんまり内情を言わない。たまたま俺のギャラリーでちっちゃいライブやってて、観客席にいたトウルは、途中から舞台に入って打楽器叩いた。みんな眼をまるくしたよ」
「どんなライブだったの?」
「シンガーのアフリカいたろ。あの子のソロで、アフリカとか中近東とかの歌。伴奏は世界各地のパーカッション、というかプリミティブな民族楽器。そいつはユダヤ系フランス人で、数ヶ月おきにビザを変えて世界中を渡り歩いている、スナフキン族だよ。トウルはやつよりうまかった。あの子が夢中になって振り回し始めると、アフリカの歌も消し飛んじゃうのね。聞いたこともないはずの歌にうまくあわせるんだが、変拍子や裏拍とるの。それだけじゃなく、打楽器の音質を選んでカデンツァみたいなの飾ったり」
「ちょっとわからない」
「だよね。言ってる俺もよくわかんない」
「何よそれ」
「いや、とにかくそこに豹河がいて、あいつはドラムもやるから、たちどころにトウルをつかまえたよ。天才だって」
「フルートの子ね」
「ああ。東京スタコラーズって、期間限定でやるから」
「どうして? とってもパワフルでよかった。続ければブレイクしそう」
「だよね。俺もそう思うけど、メンバーのそれぞれが、もう数年後の自分の未来を決めてるんだよ。君の従弟だってそうだろ」
 緋郎はどうかな、とわたしは考えた。ジャズピアノはなかなかうまかった。お坊さんよりプレイヤーのほうが似合いそう。まあ、僧侶になっても音楽活動はできる。開眼寺は古刹だし、筧さんもいろいろなイベントの招聘に熱心だし。
「トウルはたいこだけじゃなく、頭もいいんだと。もう中学生くらいの勉強はできちゃってて、そのうちどこかに留学させるらしい」
「小学校には行かないの?」
「体質的にきついんだろうな。直射日光がまずいんだ。飛び級できる国にやって、あとは本人の能力次第という」
「北国ね」
「たぶん。カナダ、北欧…」
 能楽の囃子方で紅林(くればやし)なら大鼓(おおかわ)に違いない。ジンさんの知人という鳳凰流の子は、もしかしたら舞台で母もわたしも見ているかもしれない。
「ジンさんのギャラリーっていろんな人が集まるのね」
「どこもそうだろ。俺は採算度外視でアーティストのバックアップしてやってるから、若手が寄ってくる。結局経済原則だ。透姫子もうちで個展やらない?」
「メセナしてくれる?」
「割引はするけどロハはだめ」
 ジンさんはちゃっかりした顔で小鼻をひくつかせた。なあんだ、営業に来たの。とはいえ、希少な琅玗をいただいたわたしは、父親にお返ししてもいい、と気持ちが動いた。
今年は母の死にまぎれて、どこの作品展にも出さなかった。描きためた作品はある。母が余命告知されてから、わたしの日常時間の速度と密度は濃くなっていた。半年の間、こころの停滞を避けて、しつこく色をこねる油彩ではなく、あっさりと水彩を使っていた。周囲をわずらわせる看病というほど母は病み伏せたわけではない。死に近いひとを傍にして、彼女から心が離せなかったということだ。心を分けて自分がもうひとりいた。あ、とわたしは息を呑んだ。ドッペルゲンガー、母も芙蓉さんに心を分けたのか。
「どうしたの?」
 おかわりは急須ごと来た。ジンさんは万古焼の赤い急須からとぽとぽとまるい音をたてて玉露を注ぎ、上目づかいにわたしの顔色を忖っている。

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