さゆらもゆらに水晶虹彩

時間と空間のむこうがわ……夢うつつのはざまに揺れて透かし見える水晶虹彩のものがたりをつむぎます。

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星月夜 vol8

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  マダガスカル・プリマヴェーラ

「次の歌集は来年秋か再来年春くらいに出しますから、ゆっくり選んでください」
 こういう言い方は、たぶん詩歌の出版社としては強引だし破格の好意だとわかる。
 水品紗縒は生前に七冊の私家集を編んだが、後半三冊を上梓した出版社は、自費にせよ母の歌集の評判がどれもよいので、冊数を重ねるたびに親切になっていった。だからこことは十年以上のつきあいになる。
香枕の駅近くの喫茶店で待ち合わせた『紗女集』担当の編集者、藍澤さんは、水品紗縒が自分の死が近いことを告げた数少ないひとりだった。彼はおそらく職務上、上司には水品紗縒の容態を告げていたのにちがいないが、出版社も彼も、最期まで態度を変えず、病者への憐れみなど毛ほども示さず、彼女に接してくれたのはうれしかった。
今彼は三十六だが、初対面のときから藍澤さんの頭はすっかり禿げていて、禿げているのでなければ彼はわざとスキンヘッドにしているのだろう。数年前に彼が紗縒の編集として妃翠房に挨拶に来たとき、わたしは筧さんを連想して困った。潔癖な筧さんのよく手入れされた坊主頭に匹敵するくらい、彼の頭皮の色艶はきれいだった。
明日は短歌結社「琰」の追悼歌会という一月半ば、彼は香枕にわざわざやってきて、次の企画を打診してきた。企画といっても詩歌の世界は魚少なき清流で、メディアに注目される大スターでもなければ、すべて自費だ。こちらが歌集を出したいという意向と予算に添ってすべてが動いてゆく。
「水品さんは、やっぱり魅力的な歌人でした。亡くなってみると、はっきりそれがわかります。最終歌集だけじゃなく、第一歌集から購入注文も多いです」
「絵本のファンもいるからでしょう」
「そうですね。うちの本ではありませんが、妹さんとの共同作品もあらためて再版されるそうですよ」
 芙蓉さんは結婚しても、ペンネームは水品のまま、挿絵や童話を描いていた。姉妹の共同作品というのは、芙蓉さんの童話に母が絵をつけたものだ。母は頼まれて書くエッセイ以外の散文には興味を示さなかった。
「拾遺集といっても、御存知のとおり、母は多作でしたから、未整理のノートに書き留められた歌だけでも、かなりありますし、ブログに残っているのも含めると……」
「でしょうね。でも、水品さんの御遺志もありますし、そこは透姫子さんの選択で結構ですから、とりあえず三百から四百首をめどにしましょう」
「わたしは歌の専門家ではないんですけど」
 藍澤さんは男性にしては甘党で、生クリームがカップいっぱいに盛り上がったココアを飲んでいる。わたしは渋った。娘ひとりの好悪で選んでいいのだろうか。歌には歌独自のよしあしの決まりごとやスケールがあるはずだ。わたしは詩を書き散らしたりするけれど、短歌の世界のルールには疎い。
「それは透姫子さんの判断で、結社の中からこれはという方にご協力を仰ぐのもいいと思いますよ。鈴来さんは若すぎるかな、でも仲のよい御友人でしたし……『紗女集』の帯に言葉をいただいた阿修羅炯一さんなんかも」
「おそれおおい感じです」
 わたしは藍澤さんのそつのない敬語をいい気持ちで聞いていた。わたしのほうが年下なのに、このひとは母親に接するのと同じくらいていねいな態度で話してくれる。母が彼を気に入っていたわけがわかる。母親は親しくない他人に無遠慮に距離を縮められるのをいやがったから、このナイーブで見目のよい青年、そろそろおじさんに近いが、癖のない話しかたと視線のすっとした藍澤さんが担当で気持ち良かったろう。しかしこういうひとを眼の前にして、異性に対するときめきとか、ふわふわ感は皆無だ。きっと母もそうだったと思う。
「阿修羅先生は執筆で御多忙でしょう」
「水品さんの歌についてなら、よろこんで時間を割いてくださると思いますよ。まあ、誰だってそうでしょ。あなたが頼めばいやとは言わないよ、きっと」
 他意のない表情でにこにこ笑う。笑うと目じりにきれいな皺が三本寄る。
「わたし、阿修羅さんにはほとんど面識がないんです。母は親しかったんですか?」
「距離は狭いほうだったと思いますよ。阿修羅さんの小説の挿絵なんか、時々水品さん描いていましたしね」
 推理作家の阿修羅炯一、たしか六十代半ば。ということはジンさんくらいかしら。このひとも多作家で、推理小説だけでなく恋愛小説から純文芸、江戸の庶民人情ものまで幅広く書くエンターティナーだ。作品のいくつかは、ここ数年立て続けにテレビドラマの原作になってヒットしている。妃翠房に母を訪ねてやってきた阿修羅先生は、物書きにはもったいないくらい精悍な役者顔の、折り目ただしい上品なひとだった。阿修羅先生のお父様は文学史に残る歌人だから、きっとそんな縁で母と近づいたのだろう。
 
どこまでもコップの半ば越ゆることなく我が夫(つま)と呼びにし夕顔
半身は水羽根のまま残りたき腕にも君の重さを知らず
両腕に吾子抱きながら片胸のひと恋ふうつろに南風吹く
「水品さんの歌語の特徴のひとつに、半ば、という言葉というか意識が目立ちますね。ことに最終歌集では」
 本郷区民文化センターの一室で開かれた読書会形式の水品紗縒追悼批評会に、「琰」で母が十数年来師と仰いでいた加藤丈流(かとうたける)先生は最初におっしゃった。
 師匠と申し上げても丈流さんは母よりひとまわりほど若い四十代後半だった。都立高校の国語教師をなさっていて、温厚な人となりという評判だ。上方生まれの彼は、言葉のはしばしに関西なまりを残し、鷹揚なイントネーションで、言葉を包むように母の歌を批評してくださった。おだやかでいいひとですけど、批評は烈しいですよとあらかじめ美於さんはわたしに言っていた。美於さんの使った「いいひと」という形容はひとのいいひと、という語彙ではなく、聞き手の心と言葉を適切に見極めて話してくれる先生、という意味なのかしら、とわたしは丈流さんの印象を整理した。お会いするのは二度目だ。最初は母の葬儀のとき。
 美於さんは、丈流さんの批評がとても好きだ、と言っている。母が亡くなったあと、加藤さんの歌を読み、また文芸評論を開いてみた。文学は死んだ、短歌はライトヴァースが主流という現代で、丈流さんは短歌という様式を信じて言葉を樹(た)てている方だという気がした。
「歌は人柄やから、こう水品さんを見てると、もう歌のとおりやという気がしたよね。半分こっちにいて、向こう側が見えないいう。見せたくなかったんかなあ、と今にしても思う」
「先生覗きたかったんでしょ」
 三十人ほど集まった歌人方の、進行役をつとめる女性がからかうような口調で言った。
「そうやね…。女のひとはこう自分を謎めかしたがるでしょ。ぼくは最初に水品さんにお会いしたとき、あんまり独得の雰囲気あるひとなんで、すごい気取ってはる人かなあと用心してたのだけどね、そうではなかったよ」
「水品さんが「琰」に入会なさったのは、まだ三十代、四十代でしたっけ」
「ぼくが三十五のときやから、彼女は…そういうこと。でもきれいな人でね、でも言うたらあかんね。今はみなさんエイジレス」
 丈流さんは会場を眺め渡して言葉の速度を落とした。女性たちは年配の方が多い。二十代はわたしと、もう二、三人くらいだろう。
「謎めかそうとしてもちっとも謎にならんひともいるし、男だろうと女だろうと変わりませんね。歌もそうや。そういう意味で、彼女の歌は自分を表現してよくまとまっていたと思うよ」
「好き嫌いとは別だよね」
 挙手なしでずかっと発言したのは五十がらみのサングラスの男性だった。うすい頭髪が真っ白で、目と眉をすっぽり隠す真っ黒なレンズのサングラスを室内でもはずさなかった。光沢のあるシルクサテンのシャツは、グレイのストライプの地に、チャイナドレスのような赤と黄色の龍が刺繍されている。スラックスはデニムのジーンズ。この厳寒というのに素足に高下駄。
 山田擁鬼さん、とわたしの隣に座った美於さんがささやいた。最初にひとりひとり名乗ってもらっていたが、出席者が多いのでただ一度の自己紹介では覚えられない。でも擁鬼さんの目立ちかたは尋常ではないので、美於さんの気遣いは彼に関しては不用だった。
「手をあげて発言していただけますか、山田さん」
 司会進行の女性がたしなめた。すっきりとした顔立ちに、水色と白のスーツがよく似合う。スーツは銀座マギーかな。真珠のネックレスとイヤリング。出席してきた女性たちには、特に喪というドレスコードをお願いしたわけではなかったのに、みなさん彩りを抑えた衣装だった。男性は片肘はらないカジュアルな格好がほとんど。それで山田さんの風体が飛びぬけて目立った。
 はいよ、と彼はにこりともしないで今さら片手をあげた。白い柔らかそうな手をしている。指が長い。あれ、うちで扱っているような平打ちの銀簪のヘッドを指輪に加工したものを中指に嵌めている。いいセンス、とわたしは発言よりもその手に興味を奪われる。わたしの席からは距離があって、細部までよく見えないが、イミテーションではない。毛彫りの職人細工だ。
「好き嫌いで、あえて言わせてもらうよ。生きてるときに本人に言いたかったんだけどね、ついに言えなかったからさ。ぼく水品さんの歌いやだったの」
 サングラスの平面がわたしを向いた。わたしはただうなずく。
「いつもマイペースでしょ。周りが何批評しても話してもどこ吹く風でさ。ナルシストってけなされても、いや、おれ一度か二度、喧嘩ふっかけたことあるの、ナルシシズムで歌詠むのやめたらって」
 一座はしいんとなった。丈流さんはおかしそうに笑い、
「ほう、それで?」
「自分で自分の心を愛せないで歌が詠めるのかって逆問された」
「ほう、で君は?」
 相手が目上にしては、丈流さんの言葉遣いは対等だった。山田さん、髪は真っ白だけれど、ほんとうはいくつなんだろう。
「読者意識ないのかって訊いたら、それこそ不純だろうと」
「読者意識が不純というのは面白いですね。亡き水品さんの貴重な発言を、擁鬼さんからいただきましたが」
 進行役の女性が急いで口を挟んだ。
「つまりさ、あ、悪い、手あげるよ。喋っていいでしょ。彼女は自分のえらぶ言葉に対してどれだけ自分でピュアになれるかというのが大事なんで、歌を受けとる読者を意識して
つくるのは、詩精神にたいする冒涜だみたいな言い方だったと思うんだよね」
「そら、あいまいや。思う、言うのは君の意見でしょ。ほんまに水品さんの言葉そのまんまとは違う」
「うん、じゃあ思い出す。たしかこう言った、
歌がうまれる瞬間の自分の心に忠実でありたい。読み手に媚びるのはいやだし、そんなふうにつくってもうまく詠めないってさ」
「それなら信憑性あるね、彼女の言葉」
 丈流さんはうまく擁鬼さんをすかしていた。擁鬼さんは頬を紅潮させて、
「だけど、そういう瞬間って、ぽいぽいあるものじゃないでしょ。もっと考えて詠んで欲しかったよな、ぼく」
「それは、批評になりませんね」
 と司会の女性があっさり切った。会場のどこかで小さな含み笑いが洩れて、
「擁鬼さん、それ彼女の歌を嫌ってるって説明にならないよ。告白じゃない、むしろ」
 彼はちゃんと手をあげ、名乗ってから発言した。須賀です。
「擁鬼さん、無理して批判することないよ。彼女は亡くなって、ぼくたちがこの場で彼女に対してなすべき礼儀は、死者が残した言葉を味わうことでしょう」
 優等生然とした話し方だが、端正な居住まいの須賀さんという歌人には似合った。藍澤さんと同じくらいの年かな。フレームなしの眼鏡の蔓は金色だ。きちっとしたグレイの三つ揃い。靴もぴかぴか。髪は黒い。
「一見技巧的だけど、考えて、細工していい歌が詠めるひとではなかったよ。水品さん」
 そうですね、と司会が受け、擁鬼さんは口をへの字にまげて黙った。こちらを見たようだが、黒いサングラスの向こうの表情は読めなかった。あとで山田擁鬼さんの歌を確認しておこう。レンズの向こうで彼は泣いているのかな。このひと、お母さんのこと好きだったんだ、ありがとう、とわたしは心の中でつぶやいた。そのくらいのことはわたしにだってわかる。会場のみんなが知っている。不良ぶっても山田さんの手と指は繊細だった。きっと箸より重いものは持てないひとだ。
 丈流さんは言った。
「いずれ人は死ぬのやね。ぼくはこのごろこんなふうに思ってる。ありふれた例えですが、山や泉から湧き出た細い水流が、流れ流れてやがて海に至る道程にもさまざまあって、大河の一滴というか、大きな流れの中に混じって、いろんな水質と混じりあいながら、海へたどりつくこともあるし、湧き出た瞬間のまま透きとおった水質を保って、ほとんど混じりけなしに、まあ、いく筋かの混入はあるやろうけれど、人生において可能なかぎりピュアなまんま、海に到達する流れとね、大きく分けてふた種類あるんかなと。水品さんは後者や」
あとあとずっと、丈流先生が母の恋人だったらいいなあ、とわたしはほのぼのと考えた。だが彼が娘の眼に好ましく思われれば思われるほど、水品紗縒とは適切な係りであったひとだということも、また明らかなのだった。
 批評会は出だしの擁鬼さんの暴走を丈流さんがうまく抑え、そのあとはとてもなごやかに進んだ。集まった歌人たちは、『紗女集』の中から数首づつ目にとまった歌を選び、それについて短いコメントを述べ、司会進行の女性が流れを上手に仕切った。彼女は「琰」の中でも有力な歌人さんということだった。丈流さんのように選歌欄は担当していないが、毎月の歌誌の編纂にたずさわり、冒頭のベテラン歌人欄に出詠なさっている。桃灯(ももと)さん。そういえば、母の書棚に彼女の歌集が一冊あった。お名前のとおり、言葉は厳しいが、ほんのりと色白でふくよかな容貌の女性だった。たぶん香寸さんと同じくらいだろうと思う。
「いつもは皆さんもっと舌鋒するどいんですけど、さすがに今日は静かです」
 休憩時間に美於さんがささやいた。読書会の間じゅう、わたしは水品紗縒の忘れ形見として珍しがられ、周囲の誰彼にひたすらお辞儀をしていたような気がする。
母の代理を意識して、少しでも貫禄を増やそうと……おかしな言い方かもしれないが、歌会と批評会、読書会の厳密な区別など素人にはつかない。わたしの参加している現代詩人仲間のあつまりは、ずっと気楽で、合評会と飲み会は紙一重だ。短歌の世界はクラシックではないのかしら? 
美於さんは気軽に、と言ってくれたが、故人のイメージを壊さないように、わざと紗縒のよく着ていた塩沢紬を着ていったのだった。美於さん桃灯さんを初め、女性たちは一様に、母に似ている、似合うと褒めてくれたが、わたしは読書会の終わりごろになると、なぜか自分がとても小さくなった気がした。
母の歌についての歌人方のコメントを、わたしはできるだけ丹念にメモしたが、じっさい、発言のほとんどがわからなかったのだ。皆さんがおっしゃる言葉は理解できた。だが作家の内面についての歌人それぞれの解釈、評価、褒貶など、どうまとめたらいいか、わたしは困った。もっとも死者の歌を貶すひとは、擁鬼さん以外誰もいなかった。
最後に桃灯さんが娘のわたしにコメントをふった。娘さんの選歌をお願いします。
これはあらかじめよく考えておいたので、気持ちがすくんでしまった割にはすらすらと述べることができた。
「三百首すべて、故人の思いいれのある歌ですので、これはという選択は、今は難しいです。亡くなってまだ三ヶ月ですが、彼女の死の実感は確かにあるんです。半年の間、みなさんに伏せて、ほとんどわたしと母だけで死に近づいてゆく距離と時間を……味わっておりましたので。母は多くの詠草の中から自分ひとりで選びました。わたしは傍でそれを見ていました。ひとつひとつを、母はだいじに慎重に選んでいたので、わたしにはまだそのなかみを語る言葉がありません」

 阿修羅炯一さんの住まいは世田谷の、一般には高級住宅地とよばれる地域にあった。読書会のあと、気抜けしてしまったわたしには、ことに日々の過ぎ行きが早く感じられ、気がついたら月末にさしかかっている。来春か来秋かわからないが、拾遺集の編纂に売れっ子作家の好意をいただこうと願うなら、アポイントメントは早い方がいい。
 阿修羅さんに個人的にお会いしたことはなかったが『紗女集』を贈呈していたので、昨年にクリスマスカードといっしょになった御礼状をいただいていた。万年筆を使っていた。筆圧が強く、撥ねはらいのリズムも大きい。
 お電話さしあげると、息子さんが出て御本人にとりついでくれた。きっと用心して本人がじかに電話応対するということはないのだろうとわたしは思った。
「いらっしゃいよ。御葬儀に伺わず、申し訳ないと思っていたので、年明けにはそちらにお悔やみ申し上げにと思っていたんです。来てくださるならスケジュール明けます。一月中なら日本にいるよ」
 ということは二月には海外に行ってしまうのだな、とわたしは近日中の訪問を決心した。   
日取りを決めたあと、阿修羅さんはさりげなく、
「あのね、もっと前に伝えたほうがよかったのかもしれないけれど、水品さんが亡くなって間もないからどうしようかと躊躇していたんだが、だいぶ前に彼女から預かった物があるんです。それをお嬢さんのあなたにお知らせしなければならないんだ」
 なんだろう? わたしは自分のお願いとは別に、是が非でも阿修羅さんを訪問しなければならなくなった。語りかける電話の向こうから聴こえる声は厚みがあって陽気だ。この声でわたしの心はだいぶ弾みがついた。
 チンチン電車の世田谷線を豪徳寺で降りる。道沿いに建つ低層マンションの壁は厚く、エントランスのガラスがきれいで、街並みを眺めれば、商店や建物の色合いはどれも深みがあった。マンションやビルの風合いと、そこかしこの車寄せや駐車場に停まっている自家用車の彩りは比例している。どちらも住んでいるひとの生活の厚さをしのばせる裕福で丁寧な彩りをしている。それでも昔ながらの庭を残している家は少ない。だが、三軒茶屋からこちらに入ると、目に入ってくる風景にはっきりと緑の気配が増え、そぞろ歩きは心地よいのだった。
 一月下旬ウィークデイの午後、往来にはほどほどに人出があり、もう早春の低気圧の訪れで、底冷えしながらも大気は潤っていた。雪になるかもしれない、と朝の天気予報は告げていたがどうだろうか。空は白梅色のあかるい曇りに覆われ、吹きぬけるともなくほのかに動いている湿った空気からは、街の匂いとともに梅の香りが漂ってくる。
 世田谷線は、毎年末ぼろ市に遊ぶので、沿線のいろいろに見覚えはあった。ただ昨年は母の死のために、いつもの習慣はぜんぶ消し飛んでしまっていた。
 阿修羅さんの家は駅から歩いて十分ほどだが、迷わずにたどりついた。目印となるブティック、郵便局、児童公園が要所にあり、彼の指示どおりにその都度右に左に曲がると、彼の家は建物の外観をゆたかにつくろった表どおりとは違う閑静な景色の中だった。
 売れっ子作家の家はどんな豪邸、と想像していたのだが、青い瓦屋根の二階建てに、丈の低いさざんかの生垣と茶色いブロック塀が小さな庭を囲み、生垣の下の方で、真冬の彩りの石蕗が、まだいくつも黄色い花を咲かせている、ごく普通の、静かなたたたずまいだった。古い家だ。きっと昭和五十年代くらいの建築ではないだろうか。が、門扉の横の車寄せに停まっている車はBMWで、車体はこっくりした灰緑色のきれいな色だ。
BMWやベンツは鹿香、香枕では珍しくない。この街に着いてからも、もう何台も見かけた。古いけれども主が愛着を持って手入れしながら住んでいる家の前面に、ぽんと停まっている高級車とはよく釣り合っている。
「いらっしゃい」
 ボタンを押すとすぐに阿修羅さんは出てきて、にこやかに出迎えてくれた。モスグリーンのセーター、キャメルのコールテンズボン。セーターの襟ぐりに赤とグレイのシルクのスカーフを巻いているのがおしゃれだった。紙は半白できちっと刈り上げ、初めて間近に見る本物の阿修羅炯一さんは、写真よりずっと彫りが深く、顎と額の四角い、身体つきも角張った頑丈な美丈夫だった。背筋がぴしりと胸板も厚い。体育会系かしらとわたしは測る。…美丈夫など古い言葉かもしれないが、この形容がぴったりだ。美少年、美青年、は語感が良い。だけど美中年美老年は褒め言葉にならない。
 外観同様室内は清潔で、靴箱も床板も塵一つなく、やはり昔ふうにたっぷりと広いあがりかまちの天井の、ティアドロップを垂らしたこぶりなシャンデリアはいかにもアンティークだった。奥様はいらっしゃるのだろうか。しんとした家から、煮炊きの匂いはまったくせず、藁か乾草のような異臭がする。なんだろう。これは犬や猫より濃い臭気だ。
漆黒の壁に、りっぱな枝角を生やした鹿の首の剥製と、その隣にゴッホの「向日葵」の複製画が金縁の額に飾られている重厚なリビングに通されると、奥の部屋から三十前後の青年が茶菓子を運んできた。阿修羅さんに瓜二つなので、説明なしに息子さんと思う。だがこちらは顔立ち以外はお父さんよりずっと線が細かった。銀のお盆からマイセンの茶器をそっとテーブルに置くしぐさが、その年頃の青年にしては繊細で、表情はうつろだった。彼をじっと見つめる阿修羅さんのまなざしに、かるい痛みが浮かぶ。
 青年はわたしを見て、あ、と言い、すぐに目をそらしてこくんと頭を下げた。笑顔をくれたが、その笑顔は彼がわたしから顔を背けたときに始まったので、わたしの眼には、せっかくの笑顔も横顔だけしか映らなかった。
「息子です」
 青年が行ってしまったあと阿修羅さんは言った。はい、とわたしは頷いた。リビングのテーブルのクリスタルの一輪挿しに紅梅の細い枝。きれいな紅茶の色と同じだ。彼が活けたのかな。湯気といっしょに梅の香りが昇る。息子さんが姿を消すと、空白に気詰まりを与えず、阿修羅さんは快活にわたしとやりとりを始めた。
「ぼくはよろこんで選ばせていただきますよ。だけどね、やっぱり歌人とは違うから、ぼく以外にも誰かの意見をいただいたほうがいいでしょう。もちろんあなたも含めて」
「わたしも歌はよくわかりません。感覚的にとらえているだけなので。先日『紗女集』の読書会にうかがったら、いろいろ難しかったです」
 阿修羅さんは笑った。
「あんまり気にしないほうがいい。拾遺集だし、紗縒さんの作品集ではあるけれど、あなた自身のアンソロジーという気持ちで選んだらどうです。もう好きな歌だけ集めて」
「そんなに鑑賞眼があるかしら」
「心に残る歌が、必ずしもうまい歌、いい歌とはかぎらないでしょう。ぼくも選ぶときはぽっきり好き嫌いですが、いいでしょう?」
「先生ならみなさん納得されると思います」
「あの水品さんに薫育されたあなたの選択だって、みな文句は言わないよ。ただ、ぼくにしてもあなたにしても三百全部というのは負担ですね」
「はい」
「あなたにしょっちゅう世田谷くんだりまで出てきていただくのも申し訳ないし、ぼくも忙しい……」
 阿修羅さんは頭の後ろに両手を組んで、ソファの背もたれに伸びをするようによりかかった。おおぶりで男性的なジェスチュアは石原裕次郎の仕草に似ていないかしら。
 ぎえっ、という絶叫がリビングをいきなりつらぬいて飛び、わたしは口に運びかけたティーカップを取り落としそうになった。幸いカップの紅茶は残り少なかったので、粗相には至らなかった。
「ごめんなさい。驚かせたね」
 阿修羅さんは両足を伸ばして弾みをつけ、ソファからひょいと立ち上がり、息子が姿を消した扉に向かって、
「ミランダが催促してる。連れてきてくれ」
 ミランダ? シャイクスピアの戯曲「テンペスト」に出てくる魔女じゃなかった? ええとプロスペローの娘。
 キイ、と扉は静かに開いて、さっきの青年が一抱え、いやもっと大きな鳥駕籠を胸前に捧げるような格好で運んできた。人間の三歳児くらいなら、らくに入ってしまえそうな銀の駕籠の中で、ミランダは悠々とブランコを揺すっていた。阿修羅さんは嬉しそうに、
「名前は女だが雄だ。きれいでしょう」
 わたしは呆然としてただ頷いた。鸚鵡のミランダの体長は頭から尾羽のさきまで、きっと一メートルはある。全身は雪のように純白で、頭上にあざやかな朱色のたてがみがぴんと伸び、首筋にかけて朱の羽は櫛の歯のように先端を揃えて、金色ないし黄色に変化している。肩のあたりでたてがみは産毛のような二重三重の柔らかい襟巻きになり、ちょうどそこから盛り上がった両翼の筋肉に、なだらかに吸収されていた。オカメインコのように頬は赤く、曲がったくちばしは青い。そして両目は色違いで、片方は緑、片方は赤だった。くちばしと同じ色合で、純白の体毛は翼の先端で青みを帯び、羽の付け根には赤と黄色、緑の斑が豹の毛皮のように散らばっている。鋭い金色の爪が生えた脚は、やはり鮮やかなセルリアンブルーだった。
「眼が覚めるような鳥……見たこともありません」
「そのはずだよ。大型の鸚鵡は派手な色の奴が多いが、瞳が色変わりというのはミュータントでね。七色唐辛子顔負けの体色も、きっと変異のなせる僥倖だよ」
「なんていう種類の鸚鵡なんですか」
「紗夜は、マダガスカル・プリマヴェーラと言っていた」
「マダガスカル?」
「そう、だが調べてみたけれど、そんな種類の鸚鵡はいない。学名じゃない。彼女は知人の誰かから雛をもらって育てたが、君が生まれるんでぼくに預けに来た」
「それじゃ、この鳥もう二十八年も先生のお宅にいるんですか」
 わたしの心拍はいっきに速まった。ということは阿修羅さんはわたしが生まれる前から母と親しかったのか。それならジンさんとも知り合いだろう。
「大型の鸚鵡は長生きらしい。紗夜は、こいつが百年は生きるだろうと言っていた。いや、環境によっては二百年くらい長生きする鳥もいるらしい」
「ほんとうですか」
 ぎええ、とミランダはくちばしをゆっくりとひらいて欠伸をした。今度はのんびりとした声だった。それから、ヨウコソ、オマチシテイマシタ、と言った。ヒサシブリ。
「ええ?」
「アイタカッタ。アナタ」
 ミランダの発音は、はっきりとしていた。その声色は甲高いが可愛くて、華麗で巨大な彼から放たれたとは思えない。ヴォーカロイドみたいだ。
 逢いたかった?
「誰かの言葉を覚えて」
 阿修羅さんは苦笑いした。息子さんは微笑しながら両手をうしろに組んで父親の横に控えている。笑ってはいるが、彼の眼はわたしを直視しない。視線はミランダとお父さんとの間を、振り子のようにゆっくり動いている。
「ミランダは、今まで喋らなかったんだ」
「……」
 阿修羅さんの顔つきが変わった。
「紗夜が亡くなったあと、彼は喋りだした」
 お母さんのことをこのひとは紗夜と呼ぶ。わたしの脳裏にはいくつかの疑問符とコーテーションマークが飛び交い、それらはやがて何かの顔文字にまとまった。だが脳内ネット画像は、阿修羅さんの次の言葉で顔文字の表情を確定する前に更新されてしまった。
「ぼくは二月早々、息子を連れてニューギニアとニュージーランドへ行く。あなたさえよければ、ミランダにふさわしい連れ合いを探そうと思って」
「連れ合い?」
「そう。ここに来たとき、ミランダはまだ若かったにせよ、もう雛ではなかった。成鳥だったかもしれない。ぼくは鳥があんまり美しいんで、パートナーを探す必要など全く感じなかった。だが、ミランダが喋り始めて、ぼくは考えが変わった」
「なぜでしょうか?」
「ぼくも息子も、ミランダに言葉は教えていなかったんだ。話しかけたりはしていたけれど。それにミランダの語彙は、どう考えても女性の口写しじゃないか? 今あなた聴いたでしょう?」
「オマチシテイマシタ、って」
「ぼくは神秘を信じるから、その声を聞いたときは、言いようがなかった。彼女はぼくに心を残してくれていたって。でも、同時にミランダは絶対君に会わせなければいけないとも感じたよ。事実は小説よりも奇異だ」
「お母さんの幽霊がこちらに来てミランダに言葉を教えた?」
 いや、と阿修羅さんは口ごもり、顔に血の色がさした。
「ぼくは、紗夜さんがこの世に、この鳥のなかに宿ってくれたんじゃないかと思っている。魂の全部じゃなく、どこか一部にせよ」
「なのに、ミランダにお嫁さんを探すんですか?」
「ああ。でも君がミランダを欲しければあげる。今の独身のまま」
「なぜお嫁さんを?」
「ミランダの中に、いつまでも紗夜さんをとどめておくのは残された魂にも鳥にとってもよくない。鳥は鳥に戻してやらなければ」
「魂の全部ではなくて、一部分? ですか」
 ええ、と阿修羅さんは顔を赤らめたまま、つぶやいた。全部なら、ミランダのパートナーは探さないだろう。君にも渡さない。

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