さゆらもゆらに水晶虹彩

時間と空間のむこうがわ……夢うつつのはざまに揺れて透かし見える水晶虹彩のものがたりをつむぎます。

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サイコ・ヒーラー 1アクアマリン

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  1 アクアマリン

  雨、雨、降れ、降れ、母さんが
  蛇の目で、お迎えうれしいな…

 六月も末ごろになると、梅雨は晴れ間も見えず、毎日降り続きます。この季節には、小学校への通学路沿いに紫陽花がたくさん咲いて、赤や青、紫、赤紫に白、またピンクに水色、品種改良された八重咲きから素朴な山紫陽花、萼紫陽花と、濃淡も姿もとりどりに、雨の深くなる日々の憂鬱をやわらげて街を彩るのでした。
「あ、かたつむりだ」
 下校途中のメグは、通りかかった家の塀を越えて、道路のこちらがわへと身を乗り出すようにこんもりと繁り咲いている青紫陽花の葉っぱに、大きなかたつむりを見つけ、歓声をあげました。
「え、どこどこ?」
「あそこ」
 隣をいっしょに歩いていた羊子が、すぐにはそれと見つけられず、きょろきょろしているその間に、メグは背伸びをして、自分よりずっと高い位置にある葉っぱから、三センチほどの渦巻きをひきはがしました。
「ほらね」
「メグちゃん、よく見えるねえ」
 羊子は、ちょっと悔しそうに感心します。
「かわいい」
「まだちいさいね、きっとこどもだよ」
 てのひらに乗せると、かたつむりは驚いて角を伸ばしたり縮んだりしながら、ねばねばと動き始めました。
「こわがらないの」
「くすぐったい。羊子ちゃん触ってみる?」
 うん、とうなずいた手にかたつむりを乗せてあげると、羊子は手の上をねっとりと這い回る軟体生物の感触に笑い出しました。
「わあ、むずむずする」
「探検してるんだよ、知らないところに降りたから」
 あたし、これ飼おうかな、と羊子が言うので、メグはかたつむりのこどもを彼女に譲ってあげました。羊子とメグは、クラスメイトのでした。メグは十歳、公立小学校の五年生です。
 羊子はメグよりずっと成績がよく、優等生なので、このごろは学校が終わった後、中学受験のために、バスに乗って駅前の学習塾に通うようになりました。だから、今までのようにいっしょに長く遊べないのですが、メグとはやっぱり仲良しで、帰り道も途中まではいつもいっしょ。
「どうしよう、かたつむりをそのままかばんに入れておいたら、死んじゃうかな」
「葉っぱで包んだら?」
 とメグは紫陽花の葉っぱを何枚かむしりとると、かたつむりに巻きつけました。急に荒っぽく扱われたかたつむりは、こどもたちに都合よく大急ぎで殻にひっこみます。
「ビニール袋をあげましょうか。葉っぱをそのままかばんに入れたらノートや本が濡れちゃうわ」
 ランドセルを背負った後ろから、突然声をかけられてこどもたちは驚き、ふたりいっしょにからだごとふりかえったので、傘同士がぶつかりあって、あやうく取り落としそうになりました。
 最初にメグの眼に入ったのは、膝上五センチの、光沢のある深緑いろのミニスカートでした。つやつや、ぴかぴかしたスカートで、メグや羊子には、ふだん見慣れない材質。スカートの下からびっくりするほど長い足が伸び、ほっそりとしなやかな膝まで、ワイングレーの、これも光沢のあるレイン・ロング・ブーツをはいています。
 圧倒されたこどもたちが、手の中のかたつむりみたいにゆっくりと、おそるおそる顔をあげると、相手はくすりと笑って、自分から長い膝を二つに折って、こどもたちと同じ目線に顔を寄せました。
「これあげる」
 ハイ、と駅前の書店のビニール袋をさしだされて、メグと羊子は、顔を見合わせました。
(へんなひとだったらどうしよう)
 と、こどもたちの視線は、言わず語らず同じことを心配しているのが丸見えでした。
 だって……突然あらわれたこのひと、年齢は二十歳くらいでしょうか、肩の上くらいまでのセミロングヘアのさきっぽを、くるりと外巻きに跳ね上げ、毛先だけきっちりと金色に染めています。輪郭のきれいなたまご型の顔のライン、白い肌に深紅色の口紅が際立って、濃すぎるほど目にあざやかでした。睫毛は、指でつかめるほどながく、アイシャドゥなしでも青みを帯びて見える彫りの深い目がしらから、小気味よく高い鼻筋がとおり、雨模様の薄曇なのに、ルージュの赤がくっきりと映えるのも、お化粧のせいではなく、このひとの地肌がそれほど白いせいなのでした。
(すごい美人ぽいひとだなあ)
 とメグは、最初の驚きがおさまると、無邪気にじいっと相手を見つめて思いました。羊子はじりじりとあとずさりしながら、メグのプルオーヴァーの裾をひっぱり、
「あたし、塾の時間だから行く」
「うん、あたしも帰るよ」 
 とメグもうなずきましたが、ここから先の分かれ道は羊子の行く先はメグの帰る方角とは反対で、駅前書店のビニール袋を差し出した美人さんは、ちょうどメグの行く手をふさぐようにしゃがんでいるのでした。
「バイバイ」
 と塾の始業が気になる羊子は、さっさと背を向け、足元の水たまりを長靴でバシャバシャ蹴るように走って行ってしまいました。
メグの手には、友達の忘れ物の紫陽花の葉っぱにつつまれたかたつむり。差し出されたビニール袋を無視し、このひとから半径一メートルくらい迂回して、黙って素通りしかけるのに、
「風間メグさんでしょう。こんにちは」
 と座ったまま、美人さんが声をかけました。すこし低め、すこしハスキーな声のいろ。
「……」
「びっくりした?」
「……」
 足を停めたメグは、表情を変えず、ちょっと首をかたむけ、それでも真正面にこのひとの顔をちゃんと見て尋ねました。
「あなたは誰ですか? 知らないひととは口をきいちゃいけないって学校で言われたし、パパからも」
「あたしは紫羅。千手紫羅。メグさんのことは、かなり前から、知っていたの」
「せんじゅ、しいら?」
 珍しすぎる。やっぱりタレントか、タレント未満かな、とシーラから顔を背けて横目に眺め、クールに疑うメグ。
「見えるようになったのね、メグ」
 その瞬間、体に電流が奔ったようにばしん、とメグは反射的にシーラの肩をつきとばしましたが、目の前にしゃがみこんだシーラは、華奢な姿に似合わずびくともせず、反動で後ろにひっくりかえったのは、ちいさいメグのほうでした。間髪いれずシーラはメグの両腕をつかんで引き据え、おかげでアスファルトの路面とはいえ、汚れた水たまりにメグは転げ込まずにすみました。
 つかまれた両手をむっとはらいのけ、メグは半歩からだを引いて立ち上がり、はじめてシーラに白眼をむいて、雨脚強く降りしきる中に、ふたりともいつのまにか傘を投げ出して向かい合っています。
「何の用?」
 つっけんどんなメグに、応えるシーラの声音は高くも低くもなく、
「助けてほしいことがあってあなたを訪ねてきたの。力を貸してくれないかしら」
「やだ」
「話を聴きもしないで」
「あたし、あなたに会ったの初めてだもん。なのに、なぜあなたはあたしのことを知ってるの? あたしインターネットで遊んでもいないし、ホームページから? パパが作っているファミリーページには、そんなに詳しくあたしのこと書いてない」
「ネットも見たけれど、ネットであなたのこと知ったわけじゃないわ」
「?」
「同類は、わかるの」
「どうるい?」
「仲間ってこと。あなたとあたしは、同じ種類の人間なのよ。わたし、かなり前から、夢で何度も何度もあなたを見ている」
「夢?」
「そう、夢」
「何度も?」
 シーラはまじめな顔でうなずきました。メグは何と答えたらよいかわからず、ただかぶりを振りました。シーラが見たという夢を否定することも、信じることもできません。だから、今感じていることだけ言いました。
「でも、あたし、女じゃないのに、女のかっこうしたりしない、シーラさん」
 図星ですが、シーラはちっともあわてませんでした。
(最初っから見抜かれたのは初めてだ)
 とあらためてメグを眺めます。女の子が十歳にもなれば、もうじゅうぶんに将来の美人度は見当がつきます。物怖じしない黒々とした大きな瞳が印象的で、すっと鼻筋とおり、唇のかたちもきれい。きっとかなりな美人になるだろう…と。
ですが、このつぶらな眼はほんとうは機能していない目なのでした。いえ、器質的に無反応な瞳孔なのに、メグの視界はちゃんとひらけているのです。医者でもなければわからない秘密だけれど、シーラにはわかるのでした。
「あたしの女装、へた?」
「うまいと思う。すごい美人だって。羊子ちゃんは変装とはわかんなかった」
「ふつう、だまされる。初対面で見破ったのは君が初めてかな」
 座り疲れ、シーラは立ち上がりました。すらりとした姿かたち、挙措の、どこをどうアラ探しても男性には見えません。ミニスカートに合わせたトップスは胸元のひらいたⅤネックの黒いレースブラウスで、肩からシースルー素材の袖にきりかわり、手首まで長く、白い素肌が透けて見えます。雨に濡れ、腕にまといつくその半透明は、人魚の長い鰭のようにゆらゆらと雫をしたたらせてなまめかしい…。両手それぞれ十本の指にルージュと同じ緋色のマニキュア。
シーラの姿をまじまじと眺めて、メグはあっさりとこう言いました。
「シーラさんは凄すぎて、この町には似合わない感じ」
 素朴な感想に、シーラは苦笑するしかありません。
「そお? でも、第一印象が大切だから、衣装にも気を使って来たのよね」
「あなたとあたしのどこが似ているの」
 シーラは苦笑を微笑に変えました。
さわさわとあたらしい風が紫陽花の花影を揺すり、いくらか梅雨の雨脚もおさまったようです。ねずみ色の雲間に、すこし陽差しも見えてあたりは一瞬明るみ、雨に打たれたシーラは、精巧なビスクドールのように、かえって陰影冴えて見えました。
「この世ならぬものが見える、ということ」
「あたし、見えないもん」
 きょとんとしてメグは言い返しました。
「何のことかわかんない。どいてよ、あたしうちに帰りたいの」
 シーラは、腕を下げ、かるく腰から離して両手をひろげ、メグの行く手の真ん中に立っていました。シースルーの袖や指さきからぽたりと雫が滴り落ち、濡れたセミロングの黒髪が首筋から痩せた胸にかけてはりついて、地肌の白さがますます際立ち、海から上がった水鳥が青みを帯びた翼をゆるくひらいて、威圧的にたちはだかっているようでした。ほの明るんだ梅雨雲が割れて、濃いスカイブルーが覗くと、その瞬間から真夏の陽射しが、いっきに強く照りつけました。
 メグのけんか腰を、シーラは、むしろおもしろがっているようでした。唇の両端でうっすらと笑い返し、ちょっと語調を変えて、
「見ようとしないから、認識できないだけだよ。できないんじゃなくて、しないんだ」
「?」
「君のママがそうさせた」
 メグはもう口を開かず、くるっと背をむけて、今来た道を引き返し始めました。悔しいのですが、なぜかシーラの脇をすりぬける気になれず、遠回りすることにしたのです。
 ばしゃばしゃとアスファルトの路面にできた水たまりを、ことさら足どりあらく踏んでゆくメグのあとを、シーラは長い脚でゆったりと大股に追いかけてゆくのでした。
「メグちゃん。ほら、傘忘れてる」
 メグはむっとして、シーラの手からさしだされた傘をひったくりました。お気に入りのキティの絵のついた傘です。
「ついてこないで」
「あたしもそっちへ行きたいの」
 腹が立ったメグは、返してもらった傘で、わざとらしい嘘をつくシーラを殴ってやろうかと思いましたが、傘がこわれるといやなのでやめました。
 メグのすぐ後ろを、はためにはごく自然な感じでついてきたシーラは、小学校の裏門から続く最初の三叉路までメグが戻ると、
「君のママは七つのときに亡くなったんだよね」
「……」
 平常の下校時刻をだいぶ過ぎていましたし、雨降りでもあり、校庭にも裏庭にも、生徒の姿は見えず、三叉にわかれる手前まで砂利を敷いた道のおしまいに、ここまでが校舎の敷地のしるしに植えられた、古い柳の木が立っていました。
 生徒や、周辺の住人の待ち合わせに、その姿のよい柳の木は、目印になっていました。初夏の空から流れ落ちる緑の滝のように、柳の枝はゆったりと繁りを重ね、風の流れに添って、さわさわと揺れなびいています。
 メグは、その柳の木によりかかるように立ち、シーラをもういっぺん真正面に見据えました。腹が立って何をしゃべったらいいのかわかりませんでした。ようやく、
「気味悪いからついてこないでよ」
「正直ね」
「こういうこと突然話しかけられて気持ちのいいひとなんかいないよ」
 それはそうね、と、シーラは眉をたかくあげ、両肩をすくめて、嬉しそうに目をほそめました。
「素直で、いいリアクション」
「ママのことまで持ち出して」
「ママに会いたいでしょう」
「……」
 シーラはただの〈へんなひと〉だ、とメグは思いたかったのですが、そうではない、ということがメグにはなんとなくわかるのでした。だから、ふりきって逃げ出すこともできないのです。
「ママ……安美さん、そこにいるよ」
 え、とメグはとびあがり、あたりをきょろきょろ見回しました。すると、
「うちの子に何をするんですか」
 最初に怒った声だけまず聞こえ、それからすうっと、柳の木の裏側から、ママが現れました。メグは目をまるくしました。
安美さんは、亡くなった当時よりずっと若がえっていて、二十二、三歳に見えました。でもママだということは、メグにはすぐわかりました。
「ママ、どうして?」
 メグは嬉しくて安美さんにしがみつきました。現れた安美さんは、メグが飛びついたらぬけがらみたいに虚空を突き抜けてしまうなんてことはなくて、あたたかく、しっかりと嬉しそうにメグの肩を抱え込むと、怒り顔をしてシーラをにらみました。
「この子は平和に暮らしているのに、あなたは何なのよ」
「ごめんなさい。どうしてもこの子の助けがほしい、と思ったので、安美さんまで呼び出しちゃった」
「あたしは、この子に普通におだやかな人生を歩んでほしかったのよ。だから…」
「眼を?」
 安美さんは、シーラに目くばせして、その先を言わせませんでした。
「ママ、どうしてここにいたの? どうしてお姉さんみたいなの?」
 柳の蔭から抜け出した安美さんは、昔の絵に描かれている、白い三角巾をオデコにはりつけた、いかにも幽霊じみた格好ではなくって、黄緑色の、胸元にビーズ飾りのついたごくありふれたタンクトップ、半透明にふわふわしたベージュシフォンのロングスカートを着ています。
「ずっと、この柳の樹に同化して、ママはメグを見守っていたのよ。樹木の精になれれば、自分の好きな姿になりかわることもできるけれど、普通のひとには精霊の姿は見えないから、メグの前に現れることもできないだろうと思っていたんだけれど」
「この柳の木の精になっていたの?」
 そう、と安美さんはうなずいて、またシーラのほうに視線を向け、まじめな口調で尋ねました。
「シーラさん、あなたと一緒にいると、メグはまた、見えるようになってしまうのね。あなたもあたしとおなじような媒体能力を持っているの?」
「媒体じゃないわ。メグがもともと持っていたのと同じ力。見ることができるし、飛ぶこともできる。それに」
 シーラは、自分の中から適切な言葉を捜すために間を置き、風になびく柳の枝に視線を遊ばせました。
「行き場がわからなくて、この世と中有をさまよう霊たちを、鎮めて、送り出す力」
「メグにそんな力があったの?」
「あるんです」
「なぜこの子を呼びに来たの」
「あたしひとりでは力不足のケースがおきたから、助けてほしくて」
「お断りするわ。あなたのおかげでメグに会えてうれしいけれど、危険なめにあわせたくない」
 安美さんはきっぱりとシーラをはねつけましたがシーラはかまわず、新聞記事を読みあげるように、よどみなく言葉を重ねました。
「行方不明がこの半年のうちに五人。そのうち二人は十二歳の男の子、九歳の女の子」
「どこで」
 子供たちが被害者と聞かされて、ついつい乗ってしまう安美さんです。
「銀座の某アンティークビル」
「ビル?」
「ギャラリーやら、ショップやらが雑居している昔の建築。建てられてから、もう八十年になるちょっとした銀座の名物ビル…。その一室で、次々とひとが消える。どこへ行ったのかわからない。でも最期に彼らが入っていったのは、そのビルの同じその部屋」
「怪談みたいじゃない」
「怪談そのものよ」とシーラは言い返し、
「行方不明者の家族のひとりと、ビルのオーナーから、あたしのところに依頼が来たの。探し出して、って」
 そこでシーラはくしゃみをしました。雨が止んで覗いた雲間はたちまちふさがり、また空のどこかで、遠雷が聞こえ始めました。
「あなた、風邪ひきそう、びしょ濡れで」
 柳の精になっても、世話好き心配性は変わらない安美さんでした。
「雨宿りさせていただける?」
 シーラは大きめの唇に、きれいな歯並びをみせて、さあ釣り上げたぞ、と言わんばかりにあでやかに笑い、安美さんとメグの顔をかわるがわる眺めました。
 メグは安美さんの手をひっぱって、途方にくれたような、甘えた表情をしました。目の前にいるのは、ママなのでした。ずうっと会いたかったママです。このままシーラと分かれてしまえば、精霊体の復活ママは、きっとすぐに見えなくなってしまうのです。

 六月最後の週末の土曜、メグの住む町まで、今度はシーラは砂いろのプジョーを乗り付けて迎えにやってきました。柳の根方でメグは柳の枝を二、三本、ママの手をつかむように握って、シーラを待っていました。バイバイ、バイバイ、と友達に手を降りながら、そこに立ったままのメグをあやしむひとはいません。だって、そこはしょっちゅう誰かが待ち合わせする場所だったし、何かの理由で親がこどもを迎えにくるとき、そこでこどもたちが待つことも多かったからです。
 プジョーの運転席から、ピンヒールのサンダル素足をすらりと抜いて、膝をきれいにそろえてシーラは砂利道に降り立つと、安美さん出てきて、と声をかけました。
 メグの手のなかの青柳の枝が、ふっくらと体温を伝えた人間の手に変わり、薄茶いろの幹から、立体が滲み出るように、安美さんが現れました。
「シーラさんといっしょじゃないと、見えないの?」
 メグは不満そうに口をとがらせました。そうよ、と安美さんはうなずくしかないのでした。ほんとはそうじゃないのですが……。

「サイコ・ヒーラーと名乗ってる」 
あなたは何者?、というメグの問いかけに、運転のために、今日はサングラスをかけたちょっとコワモテのシーラは、なめらかに答えました。
「ヒーラー?」
「ヒーリングって、よく聞くでしょう。精神を癒す、魂を癒すオシゴト」
占い師、霊媒師、シャーマン、エスパー…そのどれも気に入らない、とシーラは言い、
「気に入らないというより、あてはまらない。
エクソシストなんてどぎつい言い方もあるけれど、おおげさ過ぎる」
「なぜ女装するの?」
「このほうが目立たないから。似合うしね。男の格好をしてると、必ず野郎がついてくる。これはこどもには禁句かしら」
「わかるよ」
 メグはあっさり答えました。
「いつかほんとうに女になるの?」
「あたしは今だって女性」
 シーラははぐらかすように答えました。
「運転、上手ね、あなた」
 と安美さんは、メグの無遠慮な質問を遮って、言いました。
「銀座に来るのは、ひさしぶりだわ」
「ママの姿は、みんなにも見えるの?」
「見えるひとには見えるよ」
「普通はわからないってこと?」
「そう」
「気配を感じるひとはけっこういる。でも、白昼こんなにざわついていて、現実感に隙間がないときは、まず感じ取れない」
 メグの住む町から高速道路を通って、車で二時間くらい。たどりついた銀座のアンティーク建築は、なるほど十九世紀のロンドンか、パリの街角を一部分、そのまま切り取って銀座に移したように、灰色のレンガを素朴にきちっと積み上げた古めかしい外観を保ち、それは周囲の機能的な現代建築の並ぶ光景から、こどもの眼にも浮きあがっていました。
老舗デパートや、国内外の高級ブランドビルが華やかに並んだ目抜きの大通りからすこし奥まって、このビルに面して入り組んだ道幅は、車両の通行には不便な狭さなのに、その道なりには、ずらっと有料駐車場がひしめき、繁華ではないにせよ、銀座のどまんなかでは、人の往来は終日絶えず、有料駐車場の利用者は、ほとんど、そのビルで営業しているギャラリーや、ショップの経営者か、訪問客のものでした。
「久我ビルと言うの」
 車から降り立ち、ビルの外壁をながめると、
表道路に面した各室の窓は、近代建築のビルとはあからさまに異なる素朴なつくりで、それぞれが、たぶん住人の好みで、いろいろな形にリフォームされ、ちいさなベランダのついている窓には、とりどりの草花が、古めかしい外観を親しみやすく飾っているのでした。
「ここには、戦前から戦後、新橋の芸者さんたちが住んでいたのよ。戦後は、若い銀座の蝶々さんなんかも」
 シーラは、サングラスをはずし、三つ折にちいさくたたむと、麻のジャケットの襟にかるくかけました。襟のとがったジャケットに、彼女の細身のサングラスは、小型のナイフを斜めに飾りかけたように見えます。黒いスパッツに、オリエンタルな浮き織り模様のレースキャミソール、その下の皮膚はレースを透して見えそうで見えません。リネンのジャケットはどこのブランドなのか、彼女の細身には、かなり大きめの生成りを、両肩幅にあまらせるように、がさっと着ているのですが、腰のところで、わざと着丈を切り詰めて、たぶん、もともとはストレートなものを、短衣のように仕立てなおしてあるのはおもしろいアイデアでした。
行き交うひとは、例外なくシーラを振り返ってゆくのでした。なかには、わざわざ近寄ってきて、それこそ頭のてっぺんからつまさきまで、無遠慮にじろじろ見つめてゆくおじさんやおばさんもいます。中には親しげに挨拶するひともいました。
「見られることになれているのね」
 と安美さんが言うと。
「気にならない程度に」
「それってすごい感受性、というか自信ね」
 安美さんは、感心しました。
「そぉ? 誰でも、自分をもっと美しく見せたいからおしゃれやお化粧するでしょ? たくさんのひとに見てほしいから」
「シーラさんて、クール。そう思っていても、そんなにさらっと言えないよ、たぶん」
 と、メグが小生意気に口をはさんだので、安美さんもシーラも吹き出しました。
「メグちゃん、わかっているだろうけれど、これからさきは、ママにあんまり話しかけないでね。ママの姿はみんなには見えない。見えたとしても、ぼんやりした陽炎みたいな錯覚程度のはず。安美さんを見ることができるひとに出会ったら、あたしちゃんと紹介するし、そういうひとはメグちゃんにもすぐにわかると思う」
 シーラは念を押してから、久我ビルのガラス扉を押し開けて、中に入ってゆきました。入ってすぐ左に、アクセサリーや女物の小物を商うアンティークショップ。通路を挟んで向かい側には、オリジナルデザインのジュエリーショップ。
「ここの商品はぜんぶ作家の手づくり一品ものなのよ」
 と、シーラは通りすがりに、店のなかをのぞいて、会釈をしてゆきました。
 東京大空襲から免れて、奇跡のように焼け残り、戦後も銀座界隈の水商売のおねえさんたちが間借り住む、お風呂共同の集合住宅だった久我ビルは、今では珍しい当時そのままの設計を残していました。
各階の廊下は、現代のビルの標準と比べてだいぶ狭く、階段は太くて頑丈な木の手摺つきで、八十余年の手垢のために、最初の飾り模様はだいぶ磨り減ってはいましたが、アールヌーヴォーふうの曲線をどことなく残しています。あまり広くない階段は、半ばでくの字に折れ、その踊り場からまた中二階のように、別なフロアが左右に分かれてごちゃごちゃと続いていました。エレベーターも昔のフランス映画に出てきそうな重い鉄扉の手動びらきで、二重ドアはうっかりすると入りかけた途中で閉まり、背中やお腹をはさまれてしまいそうになるくらい、鈍い曖昧な開き方しかしないのでした。
「迷宮みたい」
 メグはおもしろくってたまりませんでした。遊園地やディズニーランドの幽霊屋敷は、どことなく、こども心にもツクリモノの感じがするのですが、ここの五十室ほどのそれぞれの個室は、今の尺度で言うなら六畳間から十畳間、広くても十二畳ほどのワンルームなのに、今でもそこはかとなく、長い歳月、入れ替わり立ち代り住んでいた女性たちの息づかいが漂い、その上に、さまざまなギャラリーが、絵画や彫刻といった、それ自体別な空間を内包するオブジェを運び込み、きらきらと飾りつけ、個室の中に、また別な部屋が作品ごとにいくつもいくつも潜む、というアラビアンナイトの劇中劇さながらの不可思議な雰囲気がたちこめているのでした。
 シーラは、エレベーターを使わずに階段を上ってゆきます。メグはうしろにぴったりくっついて歩きながら、ビルの内部に籠もる異様な気配を敏感に感じ取っていました。
「わかる?」
 そわそわし始めたメグを見て、シーラは尋ねました。
「うん、……たぶん、わかる」
「このビルに、危ないモノは残っていないけれど、万が一何かが近寄ってきても、答えてはだめよ。それらの多くは、燃えカスのようなモノだから」
「燃えカス?」
「激しい感情……たとえば、うらみや憎しみ……にとらわれると、そのひとからものすごいエネルギーが時空に放出されることがある。それは〈時の記憶〉に穴をあけたり、でこぼこぼこを残したりするの。でも、主体性を持って、現世に漂う暗い霊魂ほど執念深くまとまった情念ではないから、目の端にちらついて、驚かせたり、瞬間的に、そのネガティブな情景を幻視させたりするだけ。張子の幽霊みたいなもの」
「ここにはそういうものが、けっこうありそう」
「感じるのね」
「シーラさん、メグに危ないことを教えないで」
 と安美さん。やっぱり来ない方がよかったかも、と不安げです。
「心配ですか?」
 カツ、カツ、と天井にピンヒールの靴音を軽く響かせるのはシーラだけ。メグはネックベルトにピンクリボンのついたフラットなサンダルで、ふわふわとふたりに寄り添う精霊の安美さんに足音はなし。週末はことに、銀座の名物ビルのユニークなギャラリー長屋を覗く観光客のたてる雑音がフロアごとに絶え間なく。
「当然よ」
「危険なめにはあわせないから」
「ホントに?」
「何度も約束したとおり……この部屋です。ひとが次々と消えてしまう、のは」
 シーラはくすんだ緑色の扉の前で、ちょっと緊張したように片方の髪をかきあげ、耳にはさみました。露わになった彼女の白い耳たぶには、ティア・ドロップ型の中国風の翡翠ピアスが震えていました。
 306号室、花絵、とだけ横書きに無造作に彫り込まれた鋳金のちいさい楕円形プレートが、ふるぼけた扉の四角い覗き窓の上に貼り付いています。何度となく塗りなおされたらしいドアの塗料は、あちこちずいぶん剥げている上に、覗き窓のガラスは歪み、拭いても落ちない年代ものの曇りがかっています。メグはいびつなそのガラスを見上げて、
「何十年も前のものなの?」
「そう。いえ、そうでもない。十年くらい前まで、この部屋には、ちゃんとひとが住んでいたの。久我ビルの最後の住人」
「最後?」
「じっさいに、この部屋で暮らしていたひとっていう意味よ」
 シーラは鉄錆の浮いた蝶番をきしませて、古いドアノブを回し、メグをうながして室内に入りました。
「いらっしゃいま……」
 あ、シーラさん、とありきたりのあいさつの途中から、声の調子をがらりと親しげに変えて、部屋の隅の腰掛からたちあがった青年に、シーラはメグを紹介しました。
「峰元くん、この子が風間メグさん」
「はじめまして、風間さん。ぼく峰元太地と言います。タイジは太い、地面という字」
 こんにちは、とメグはあいさつを返し、自分を名前ではなく苗字にさん付けで呼んだ、素朴そうなこの青年に、好感を持ちました。
年のころは、二十三、四でしょうか。頭蓋骨のかたちがはっきりわかるくらい短く刈上げた髪を茶髪に染め、カーキ色のTシャツ、膝の抜けたジーンズ、底の磨り減ったスポーツシューズは、汚れてはいないものの、ずいぶん履きこんでいます。どんな仕事をしているのか、それともスポーツで鍛えたのか、両肩にがっちりとみごとに筋肉がつき、向かい合ったシーラより頭ひとつぶん背が低く、手足の短い中肉中背の固太りで、太筆書きのようにはっきりしたおおぶりの目鼻だち、四角い顎と血色のよい頬の肉付きが健康的でした。彼ははきはきと、
「ぼくはシーラさんの子分か、まあ使いッ走りの小僧ッすから。とりあえずよろしく」
「あたし、あなたを子分に格上げした覚えなんかないわ」
 シーラはすげなく言いましたが、タイジはシーラにあしらわれて、かえって嬉しそうに、にやっとメグに向かって笑いました。メグもつられて笑顔になるくらい、タイジの笑顔は無邪気でした。このひとにも、メグの横に漂っている安美さんの姿は全然見えていないのでした。
「彼は、この部屋の番犬なのよ」
「番人と言ってください。ま、似たようなもんだけど」
「この部屋って……空き部屋?」
 メグは壁紙のぼろぼろに剥げ落ちかけた室内を見回してふしぎそうに尋ねました。
 306号室は、間取りだけは、久我ビルのなかでも広い方で、部屋の中ほどに間仕切りの名残が残っているから、たぶん二つの部屋の壁をぬいて、大きくひと部屋にしたのでしょう。床は打ちっぱなしのコンクリート。家具らしいものはなく、ただひとつ、入り口近くに、昔の小学校で使っていた学習机のような木の机があり、古ぼけた電気スタンドが乗っています。  
電気スタンドはアール・デコふうな曲線の首をした真鍮製で、もしかしたらアンティークとして値打ちものかもしれませんが、もとは鮮やかな紅色だったらしいランプシェードは、長年の埃をかぶってすっかり黒ずみ、台座のまんなかのつまみスイッチの部分だけが、赤錆いろをまぬがれて、金褐色にぴかぴかしていました。これ以外、天井にもどこにも照明器具がないということは、このがらくた電灯だけが、この部屋の明かりなのでした。
 空き部屋にしても殺風景すぎて、唖然としながらも、そこかしこをよく見ると、あらかた剥げ落ちかけた壁紙には、うっすらと一面になにかの花柄めいた模様がこびりついているのでした。
「この部屋に、峰元くんのひいおばあさんが住んでいたの。そのおばあさん、という方は、元新橋の芸者さんで、結婚して引退してからもここを離れず、髪結さんをしていたのよ」
「かみゆい?」
「日本髪を結うひと」
「ふうん」
 メグは、もういっぺん、室内をぐるりと見回しました。お風呂も、お手洗いもありません。かなり広い部屋で、窓も大きく採光もたっぷりしていますが、ビルのすぐ外は今も昔も都会の雑踏のただなかで、こども心にも、一般の人が居心地よく住み続けられる〈家〉とは違っているように感じられるのでした。
「ぼくのひいばあさん……花緒さんってすてきな名前のひとだった。ここで髪結しながら、絵を描いていたんだ」
「絵描きさん?」
「そう。女流画家。ただし、絵はほとんど残っていない。おばあさんは、自分が亡くなる前に、作品のほとんどを、自分で処分してしまったから」
「処分?」
「燃やしてしまったそうだよ。もったいない話」
 と口では言いつつ、タイジはちっとも残念そうではなく、笑っているのでした。
「だけどね、彼女の絵画の映像は、残っているんだ、ほら」
 とタイジは、黒ずんだシェードをかぶった電灯のつまみスイッチをひねると、がさがさに壁紙の剥げ落ちた周囲の壁面に、大小さまざまの色鮮やかな花畑が、いっきに浮かび上がりました。
 わぁ、とメグも安美さんも歓声まじりの息を吐きました。ぼろぼろに見えた上下四方の古壁と床までいちめんに、隙間なく、色とりどりの花模様、はなびら、果物籠、小鳥たちが、半ば透きとおりながら浮かび上がり、画像の上に、別な画像が重なり、ある部分では虹のようにさまざまな色彩が共鳴し、べつなところでは暗色に濁り、また色味と輪郭を変えて明るみ……一枚の絵の奥にまた別な花野が何の脈絡もなく用意されている、目もあやなコラボレーションが投影されたのでした。
「遮光シートをおろします」
 タイジはメグ(と安美さん)のおどろきを嬉しそうに見計らって、道路側の窓の覆いを引き下げました。室内の明度が低くなると、それぞれの画面の解像度が増し、よりクリアで濃い色味が強調され、あわあわとした白昼夢の世界は、夕闇か夜明け、目覚めの境に垣間見て、曖昧なのに、なぜか記憶の底にこびりつくグロテスクな残像のような、深みを帯びました。
「アラビアンナイトだ!」
 とメグはつぶやきました。重なったいろんな作品たちは、清涼な野原から、徐々にオリエンタルな金銀のタマネギ屋根の宮殿や、作者が空想で描いたのかもしれない風変わりな建築や庭園、黄色い砂漠に真っ青な皮膚のスフィンクス、白いたてがみの一角獣の休息する噴水、黒々と天空に突き刺さるゴシックの尖塔、血のような夕陽、緑色のうすものを頭からかぶり、緋色に透けるサリーをまとうたインドの女性たちが川面に佇み、また瞑想する情景から、手足のほそながい娘たちが、思い思いの格好で横たわり、舞い踊り、寄り添い、また流し目をくれたり、月明かりの薔薇の群れのなかにもつれあいながら埋もれてゆく画面と画面とのコラージュは、残像を曳きながら、次の画像へと変わってゆきました。
 最後の投影は、作者本人の写真と自画像が、彼女の住んでいた当時のこの部屋の風景のなかに幾重にも映し出されておしまいになりました。簡素なアトリエふうの空間半分は西洋そのもので、もう片側は古風でこづくりな鏡台と髪結いの道具が調えられた和室でした。
 そのさかいめに、自分の顔を描いている姿で、タイジのひいおばあさんの花緒さんが画布の前に座っていて、絵の具を盛り上げたパレットに絵筆をとり、こちらに向いて微笑んでいるのでした。前髪にふくらみをつけて後ろ髪を結い上げ、ながい襟足を強調した夜会巻きのような髪型に、開襟の白いブラウス、シンプルなフレアーのロングスカート。
「美人」
 メグは感心しました。
「そりゃまあ」
 タイジはあいまいにうなずきました。
「似ていないでしょ」
 とシーラがタイジを尻目にずけずけと言うので、メグは吹き出しました。
「うん、ぜんぜん」
「そりゃそうだ」
 タイジの口調は、なんだか訳知りのオジサンぽくなりました。で、さばさばと、
「ぼくがひいばあちゃんに似ていたら、芸能人になってます。ジャニ系でもなんでもイケるでしょ。まあそんなことはいいや。この部屋ぜんたいが、彼女の作品なんですよ。遺言でね。すごい個性の強烈なばあちゃんで、あたしの人生は花そのものだったから、それをマンマ遺したいって言って、オヤジに画像記録を撮らせて、作品じたいは全部燃やしちゃった。壁よく見てよ、ぼろぼろに見えるけど、じつは違うんだ」
 メグは花緒さんの画像が映し出されている壁とは逆の面に近寄り、そっと触ってみました。ちょっと見には剥げ落ちかけた古い壁紙、ささくれた打ちっぱなしのコンクリートに見えたのですが、よくよく顔を近づけると、壁のささくれの一枚一枚は、なめらかな感触の、一定の起伏が波模様に織り込まれた薄い繊維で、それらは無造作に貼り付けられているのではなく、おおきな螺旋めいた渦巻きをなし、それはゆっくりとこの部屋を囲むように、緻密にめぐらされているのでした。
「特殊加工のシルクの一種なんですよね。発光塗料をアクリルガラスに薄く重ね塗りした。パソコンデータをこの壁にただ映しても、あんまり奥行き出ないんですけど、そうやって光線を乱反射させると、色彩が木漏れ日みたいに壁に散らばって、ものすごく立体感が出る。立体感、というかあやふやな実在感ていうか。画像を重ねていくとき、静止しているはずの色や線がムズムズと動いてゆく錯覚が起きるでしょ。それは、この塗料チップの反射のおかげなんだ」
「タイジくんがやったの?」
「違いますよ。オヤジの友達。イタリア在住のアクリルガラス作家で」
「すごいね」
「タイジのお父さんは、工業デザイナーなんだ」
 とシーラが付け加えました。
「オヤジがこの部屋の空間をデザインして、デジタル化した何百枚もの花緒さんの作品を、こんなふうにいっぺんに見れるようにしたんだ。ひいばあちゃん、すごい頭のいいひとで、人間は展覧会で絵をみたあとも、その展示の順序どおりに覚えていたり思い出すわけじゃないでしょって。印象に残るものから、ランダムに、ごちゃまぜに、アナーキーに部分や拡大や、歪曲させながら連想してゆくんだって言って。だからあたしは、ひとりの画家の絵や人生や妄想を、その頭の中をかいまみるように、この部屋まるごと使って見てもらいたいって」
「記憶なのよ、この部屋そのものが」
 とうなずくシーラ。
「絵のウマヘタなんて、こうするとモンダイじゃないっしょ?」
 とタイジ。
「うん」
 メグは感心してうなずきました。たぶん、ひとつずつの花緒さんの絵は稚拙で、あんまり上手ではないのかもしれないのですが、重なっては不意にずれ、また気持ちよく歌いだす色彩音符の調和や不調和が、あまりに絢爛としているので、ここを覗いたひとは、なんとも形容しがたい幻想の量感にぼうっと酔ってしまうのでした。
「この幻想空間で、人が消えちゃう。わりと連続して」
 タイジが、けっこう怖いことをごく普通に言ったのでメグは眼をむきました。
「わりと普通に…? 消えちゃうの?」
「そう、でもないか。ここ一年くらい。この〈花絵〉をひらいて、今年二年目だから」
「半年に五人と言っていたでしょ」
「それは推測。最初は、上の階のギャラリーのオーナーで、彼女はそれまでも国内外あっちこっち買い付けや下見に出かけて留守が多かったりしたから。はっきり彼女のギャラリーが無人でおかしいって気づいたのが、約半年前。だから、消えたのは、もうチョイ前かも」
「いいかげんなこと言って」
「僕のせいじゃありませんよ。だいいち、行方不明だっていう捜索願もまだ出てない。彼女独身でマンションに独りずまいだったし、家族は別れた旦那さんだけで、こどもはいない。実家は島根の山奥で、娘の音信不通アタリマエみたいという」
「なんでここで消えたってわかるの」
「彼女のポーチが、この部屋に残ってた」
 これ、とタイジは部屋の隅の作り付けロッカーから、コーチのちいさいバッグをとりだしました。花緒さんの映像を消して 窓の遮光シートを巻き上げ、急に味気なくなった昼の光りに、すこし使い込まれたこぶりの化粧ポーチは、高級ブランド品なのに、なんだかとてもつまらない物体に見えました。 
 ごくふつうの女性の化粧道具ひとそろい、それから内装生理用品がいくつか。
「これ見つけたの、去年の夏ですもん。俺、それまでにときどき彼女と飲みに行ってたりしたから、見覚えあるんだ」
「彼女って、タイジさん、なんていう名前のひと?」
「シツレイ、かんじんなこといい忘れてた。ギャラリー深月。シンゲツ、深い月って書くんだ。そこのオーナーで、葉山朱鳥さん。本名かどうかわかんないけど、アスカさんは自称詩人で、同人誌とかネットに、その名前で作品出してる。ブログもあるけど、更新されてない。ちょうど一年前くらいから」
「何歳?」
「ウーン。微妙。見た目年齢は三十代かな。顔は美人てわけでもないけど、やっぱ、パワフルな女性で、男友達はいっぱいいたみたい。適当に遊んでた。いやな意味じゃなく。最後にブログ更新されたのが、この部屋で僕が彼女のポーチを見つけた日の前々日なんだ。だから、もしかしてって。でも、それだけならこの部屋がミステリーだなんて思わない。そのあと四人いなくなったから」
「どんなひと?」
「今年の一月終わり。カップル。ここのギャラリービルには、美大生とか、野心のある地方の若手アーティストが覗きに来るんだ。まだ学生なんだけど、卒業前に、恋人どうしで二人展やりたいから、場所探しに来たって言ってた」
「東京の」
「そう。ぼくの後輩ってことかな」
「タイジさん、美大なんだ」
「うん」
「画家なの?」
「違うよ。油彩専攻したけど、今は造形全般」
 フーン、とメグは肯きました。画家には見えないなあ。
「えっと、ハナシがまとまらない。そのカップル、ここがすごく気に入って……ホント、自慢じゃないけど、この〈花絵〉覗いたひと、かなりハマるんだ。ほぼ全員。で、そのまたほぼ全員が、時間があれば、もういっぺん見たいって言う。二度めまではぼくもつきあうんだけど、三回目になると、さすがにちょっと疲れるんだ、初見の人といっしょになって、ばあちゃんの〈記憶〉に溺れるの。その日は週末で、たしかリピーターが何人もいて、僕もいいかげん花緒さんの毒に酔いすぎって感じだったから、この二人のリピートのときには、席をはずして、下で一服させてもらってた。ここは、べつに盗まれるようなもの置いていないしね。で、タバコ一本吸い終わって、昇ってきたら、幻燈ついてて、部屋には誰もいない。あいさつなしで帰ったのかと思っていたら、数日後に警察が来た」
 立ちっぱなしで疲れるでしょ。座ってください、とタイジは入り口近くの壁にはめ込まれた納戸から折りたたみのスチール椅子を出して、シーラとメグにすすめました。その納戸は、その昔は作りつけの靴箱だったもののようでした。
「風間さん、ゴメンね。ここではお客様に、お茶は出さないことにしているんだ」
「ぜんぜん平気。それでそれからどうなったの?」
 メグは眼をまるくして先をうながしました。
「たいしたことは訊かれなかった。七日前からそのカップルが消息不明。ふたりとも自宅通学生だから、家族はすぐに異変に気づいた。
連絡ナシ、メールもナシ。捜索したら、銀座まわりのその日が、目撃最後。久我ビルから先の足跡が見えない」
「何て答えたの」
「知らないものは知らない。そう言うしかないッしょ。僕は彼らのアナログ住所も聴いていない。メアドとアートネームだけの名刺だけはもらったけれど、それだけだ。警察が帰ったあと、さすがに僕もひっかかった。アスカさんのことがあるから。警察にはアスカさんのことは黙っていたけれど、ギャラリー深月は家賃未納で宙に浮いてる。ギャラリーだけじゃないだろう。これ、ちょっとヤバくない?って」
 椅子に腰を下ろしたタイジは両腕と両膝を組み合わせ、一直線の濃い眉をひそめて、深刻な顔つきになりました。
「さらにヤバイと思ったのは、四月と五月。先々月と先月。ここでこどもがいなくなった、らしいこと」
「らしい?」
「消えたってことは、確証を何も現に残さない、普通ありえないことだから、ぼく個人の憶測にすぎない。でも、たぶんそうなんだ。ありえないことって、じつはけっこうありうるし、おこるものなんだよな、でしょ? シーラさん」
「そうよ」
 シーラは澄ましてうなずきました。同じスチール椅子に三人がそれぞれ座っているのですが、ミニスカートから伸びたシーラの両膝は、メグはもとよりタイジくんと比べても、とびぬけて細長いのでした。シーラは長い両足をすこしもてあますように座っていましたが、足を組んだりせず、膝頭をかるくあわせ、つまさきまできれいな斜めにそろえていました。バービーとか、リカちゃん人形みたいに長いなあ、とメグはシーラの足をながめて思いました。あたしもこんなに足が長くなるかな、とメグはメグのうしろに佇む安美さんをちょっとふりかえりました。安美さんは空気に溶け込むようにメグとシーラのちょうど真ん中にたたずんでいます。彼女の姿はタイジには全然見えません。タイジは続けました。
「四月に消えたのは十二歳の小学六年生。この子は、久我ビルのあるギャラリーにときどき展示していた常連作家のこどもで、不登校児童だった。詳しいことはわからないけれど、発達障害か何かで。いまどきめずらしくない理由。僕が知るかぎりでは、おとなしくて、素直な感じのいい男の子だった。お母さんはそこそこ有名な染色作家で、父親は陶芸。夫婦仲は悪くなかったと思う。経済的に言うなら、まあ普通にお金持ち。だもんで、お母さんもわりとおっとりっていうか、現実離れしたところがあるから、困ってはいても、不登校ってことをそんなに深刻になっていない雰囲気で、展示中はよく銀座に連れてきていたよ。ここにもそんなときには遊びにきてくれて、ときどきギャラリー番なんかしてもらうこともあった。ここは常設展示のみが原則だから、平日の日中はそんなに客は来ない。よそのギャラリーを見に来るひとが、ついでに寄っていって、はまってくれるの。だから、ギャラリー番っていってもたいした仕事はないから、ぼくが休みたいときとか、急用のときとか、ちょっと座ってくれてればいいだけだ。仕事はこのスイッチをいれること。
 その日は、四月半ば。新学期が始まったばかりの彼は、母親の展示がこの近くの別な画廊であるって言って、昼すぎに不意にやってきた。今回の出展は、ここじゃなく、久我ビルのギャラリー群よりだいぶ上のランクで、母親の知人の染色作家どうしの共同のエキジビションだった。その子にはたぶん居心地のよくない雰囲気だったんだと思う。彼は帰りたがらなくて、ずっと僕としゃべっていた。ウィークデイだから、客足もまるでなくて、ヒマだった。僕はお腹がすいたから、彼のぶんもいっしょに、近所のスタバに買い物に行った。彼にギャラリー番を頼んで。このビルから、歩いて五分。午後のお茶の時間に店は混んでいてランチを買うのに約十五分かかった。帰りがけに、コンビニに立ち寄ったりしたから、だいたい三十分強だと思う。帰ってきたらその子はいない。幻燈だけがついていた」
 そこで沈黙が挟みこまれました。
「僕はしばらく彼を待って……長かった。その待ち時間は。アスカさん、美大のカップル、いったいどういうことだ? あの子が帰ってくれることを神様に祈った。母親のところに戻ったとしても、自分の分のランチもいっしょに買いにいくといって出て行った僕を無視してさよならする子じゃない。でもあの子は帰ってこなかった。一時間待って、それから
お母さんに電話した」
 沈黙はさらに深くなりました。
「母親には、ここに行くと言い残して行ったんだって。彼は手荷物も何もなしでここに来たから、彼がいなくなったのが、最後にここという確信もない。ここからどこかに出ていったのかもしれない、ほんのちょっとの間。でなければ、僕を追いかけてスタバに来ようとしたのかもしれない。そこで犯罪に巻き込まれた可能性もある。でも、ぼくは違うと思った」
 うなだれてしまったタイジから眼を離し、メグはシーラをみつめました。シーラはかるくウエーブをかけた前髪をほそい指先でかきあげ、メグの視線に応えて眼を見開きました。そりかえった長い睫毛に囲まれた彼女の瞳は日本人にしては明るすぎる茶色で、メグの注視をはぐらかさずに、ちゃんとうけとめていました。
(サイコヒーラーってなんだろう?)
 ここまできて、メグはようやく、シーラの不思議さに近づいてみたくなりました。それまではシーラがいると亡くなったはずのママに会えるから、という理由が主なもので、そのほかのことは、実はどっちでもよかったのでした。ところが、銀座に来て、タイジの話がどんどんリアルに深刻になってゆくにつれ、何か目に見えないもの、気づかずにいた世界が、シーラの向こう側から次第に手を伸ばしてきた、そんな感じがするのです。その見えない手が怖いものなのかどうなのか、メグにはまだわかりませんでした。
「怖い?」
 シーラは小首かしげてメグの心の先取りをしました。メグはちっとも驚かず、
「怖くない」
「信じられる?」
「うん。だってママと会えたもの。シーラさんのおかげで」
「何っすか?」
 タイジが割り込みました。自分の話の腰を折られて、彼はむしろほっとした感じです。
「メグちゃんのママ、ここに来ているの。峰元くんには見えないけれど」
「えー紹介してくださいよ、シーラさん」      
 ちょっと蒼ざめていたタイジは、急に生き生きとした顔つきになりました。
「フツウ人の僕には見えないからなあ。最初から引き合わせてくれればいいのに、シーラさん」
 シーラは眼をほそめました。
「ママを今紹介してもいい? それともタイジくんの話をすっかり聴いてしまったあとのほうがいいかしら」
「今でいいよ。だってシーラさん、そう言っちゃったじゃない。気になるよ、そんなこと聞いたら、峰元さん」
「そうそう」
 タイジはにこにこしてうなずき、肉付きのよい頬に血色が戻りました。
「安美さん、来て」
 とシーラは、ごく普通に、物陰にかくれて見えないひとを呼ぶように、自分たちの背後の空間に向かって声をかけました。シーラの声につられて、メグは安美さんの手をとり、自分のほうへ引き寄せました。安美さんはちょっと気恥ずかしげにためらい、椅子に座ったままのメグにひっぱられて前かがみになるような姿で、すうっと空間のはざまから滲み出るように現れました。
「透明人間の登場」
 と眼をまるくしたタイジですが、ぜんぜん驚かず、椅子から立ちあがって、安美さんに向かってぺこりと頭を下げました。
「峰元です。よろしく」
「風間安美です、こちらこそ、はじめまして」
「透明人間じゃなくて、ママは今、柳の木の精なんだよ」
 とメグは自慢げに言いました。安美さんはシーラに向かって、
「峰元くん、こういう出会いに慣れているの?」
「あたしの助っ人を頼むことがあるから。でも、今メグちゃんが、ごく自然に安美さんを引き寄せたようには、向こう側のモノとの交流は簡単じゃないの」
 あッ、と安美さんはシーラを睨みました。
「そういうことなのね」
「ええ。ごめんなさい安美さん。メグちゃんには、こんなに力がある。凄いことです」
「ママ、何のお話?」
「……」
 安美さんはどう答えたらいいかわからず、黙ってつやつやしたメグの髪の毛を撫でました。まだどことなく産毛の気配を残している栗色の髪は、まっすぐで、ふさふさして、撫でているてのひらに心地よいものでした。この子が七つのとき、あたしは死の間際にこの子の髪を撫でていたような記憶がある。シーラといっしょに来なければよかったのかしら。でも運命なのかしら。シーラが邪悪な存在ではないと、もう生きている人間ではない精霊の安美さんにはわかります。後悔しても何にもならない。今のあたしにできることは、この子のそばにいて、できるかぎり守ってやること。……。
「シーラさん、とにかくタイジさんの話をぜんぶ聞かせてください」
 覚悟した安美さんは、落ち着いてもう一度しっかりとシーラを見つめなおしました。すると、シーラのまなざしのなかに、ゆっくりとやわらかいものがよぎってゆくのが見えました。でも、それがいったい何の情感なのか、精霊になった安美さんにもはっきりとはわからないのでした。
「五人目の女の子の家族は、あたしのところへ駆け込んできたのよ」
 シーラは長い睫毛をゆっくりと瞬きさせて、タイジへ視線をめぐらしました。タイジはそれに応えてうなずき、
「僕がシーラさんにアポとるのとほとんど同時でした」
「どういう子?」
「ダンサーのお孫さん。この久我ビルの地下は、昔、住人のための大浴場があったんだけど、今は改造して小劇場になってます。座席数は二百人くらいかな。そこでときどき公演しているモダンダンサーで、宝石占い師のひとがいるんです」
「宝石占い?」
 安美さんとメグは、声をそろえて聴き返しました。
「詳しい話はまたあとで。いずれ会っていただくことになるでしょう、この五月連休中に、彼女…娥網さんの三日間連続ソロ公演があったんですが、最終日に息子さんと孫のお嬢さんが来ていたんです。ガーネットさんは、ぼくのばあちゃんのファンで、ここにもときどき覗きに来ていた。インスパイアされるからって。だから仲良しなんです。ぼくやオヤジと。踊りのひとって、けっこう霊感強いひと多いんですよね。ガーネットさんもそういう感じで、直感的にときどき予言とか透視とかできちゃう。ただ、芸術家肌だから、好き嫌いがはっきりしてるし、気分にムラがあるんで…」
 とタイジは口ごもり、ちらっとシーラを見ました。シーラはひややかに、
「人格円満な常識人のアーティスト、というのはなかなかいないものでしょ? みんなどこか風変わりだし、風変わりでいたがるし、他人と自分とはこんなに違っている、スタンダードから逸脱したところに自分の個性はある、と主張する。それ自体、別におかしなことじゃないわ。ことにモダンのひとは。峰元くん、話を先に進めようよ」
「ハイ。ガーネットさんの息子、ジャン・フランソワは、幼いころ両親が離婚したあと、フランス人の父親といっしょにフランスへ渡ったんですが、何年か前に帰国して、日本に住んでいます。奥さんは日本人のピアニスト。お子さんがひとりいて、ガーネットさんの公演最終日、娘のドミニクを連れて公演前に、ここに来てくれた。ジャンは日本文学の研究者ですから、日本語ものすごくうまいんです。ぼくなんかわからないような知識が豊富で、話好きで、ウマがあうっていうか、いろいろ面白い。ドミも僕になついてて、僕もその夜は、もう〈花絵〉をおしまいにして、いっしょにガーネットさんの舞台を見に行こうと思っていた。ギャラリーを閉め、僕たちは三人で階段を降り、地下劇場に入った。予約の最前列席についたとき、急にドミが〈花絵〉に忘れ物をしたって言い出した。もうじき舞台がはじまるし、あの子も、久我ビルの中はよく知っているからと、ぼくはドミに何気なく合鍵を渡し、ドミはひとりで上にあがっていった……」
「それっきり、帰って、こなかった」
 タイジの言いよどんだ先を、一語ずつ区切るように付け足して、安美さんは、ショックのためにちょっとグラグラしました。
(あーやっぱり後悔。メグをつれてこなければよかった。だんだん怖い展開じゃないこれって)
「〈花絵〉にドミが入ったっていう証拠はあるの?」
 と、メグが尋ねました。
「ドアの鍵が内側に落ちていたから」
「それだけ?」
「それだけ」
「じゃ、やっぱり確証はないんだね」
「うん」
 タイジは、ちいさいメグが自分にタメ口をきいても、ちっとも不愉快ではなさそうでした。
「ドミのパパやママはどうしたの?」
「警察、捜索願、ありきたりの手順を踏むしかないよ。もちろん僕のところにも来た。ここや僕が疑われているわけじゃない。だってはっきりしたアリバイがあるし、僕に知人の児童を誘拐する動機なんかからっきし見つからないから。でも、ここ一年半年のうちに、たて続けにこの近所で犯罪らしい事件が起こる、というのは事実だ。警察もひととおり聴きこみしたらしいけれど、連休から一ヶ月以上たって、ドミも、それからはっちゃんも帰ってこない」
「はっちゃん?」
 メグが聴き返すと、タイジはにこっと笑い、
「染色作家の息子。初生っていうんだ。最初に生まれた子だから」 
 笑顔は、またすぐムツカシイ顔つきに戻りました。喋りつかれて黙ってしまったタイジのあとをひきとって、シーラが低い声で続けました。
「ガーネットは気分屋なんだけど、すごく愛情深いひとなのよ。ドミを可愛がっていたし、自分の公演中にこんなことが起きたから、余計に責任感じて。ガーネットは、あたしがサイコヒーラーだと知っている。警察に頼んでもラチがあかないと直感して、あたしのところへ依頼が来たの。同じ日に峰元くんからも」
「僕はフツウ人なんだけど、シーラさんとか、ガーネットさんとか、それからいろんなアーティストと接していると、物質的なこの世の向こうに、たしかに何かあるんだろうという確信はあるんだ。だってメグさんや、安美さんとの出会いみたいなこと、眼の前で起きるからね。ひいばあちゃんも、迫力っていうか、いっしょにいると、すごく不思議な感じのする女性だった。超能力ってレベルじゃないにせよ、もう百歳近くて、ヘルパーさんの介護を受けながらここで一人暮らしをしていたんだけれど、白内障でほとんど視力ないはずなのに、ここに僕やオヤジが来ると、僕らが何をしているのか、部屋のどこにいるのか、気配でちゃんとわかってた」
「シーラさん。メグをどうしたいの?」
 安美さんはタイジの話を中途で遮り、少し強い声でシーラに問いただしました。
「大筋はわかりました。どれもこれも確証はないけれど、この部屋からつぎつぎと人間が消えてゆく、らしい。ガーネットさんの依頼は、消えたお孫さんの消息をつかむこと?」
「連れ戻してくれというのよ」
「え?」
 シーラのなめらかな頬には、何の動揺も浮かんでいませんでした。安美さんとメグの顔をかわるがわる見つめ、落ち着いた声音を少しも乱さずに、
「ただの幽体離脱や憑依なら、この世に肉体は残るし、ほんのちょっとあっちへ迷いだしたにせよ、やがて意識は戻ってくる。だけど今回は、まるごと消えてしまい、痕跡さえこの世に残していない。何か、ものすごく強烈な異界のパワーが、行方不明者を肉体ごとひきとどめているのよ」
「どこに」
 聴いているうちに、安美さんは頭に血が昇ってきました。こんなおどろおどろしい展開では、優しい柳の精霊であっても逆上するのが当然です。
「どこかに。それを知るため、それからそこへ一緒に飛んで、彼ら(たぶんみんな同じ力にとらわれている)をこっちへ連れて帰るために、メグの助けが必要だと思ったの」
「そんな危ないこと、メグにさせられません!」
 安美さんは思わず大声になり、メグを抱え込んでシーラから遠ざけようとしました。
「五人の人間の命がかかっているのよ、安美さん」
 シーラはゆっくりと瞬きし、声の調子をすこしも変えずに言いました。逆に安美さんはうわずった声のまま、
「あたしにとっては五人の人間より、メグひとりがだいじなのよ。危険なめにはあわせないとあなた最初に言ったわ。でも、今聴いたら、どう考えても、あぶなっかしい話じゃないの! シーラさん、この子はなにも知らないの。自分の隠れた力も、不思議な視力も。あなた、あたしが何のために」
 そこまでいっきに叫ぶように喋って、安美さんはぐっと口を噤みました。
「わたしが守ります。必ず。どこに飛ぶにしても、メグはまだひとりでは無理。いっしょにいて、必ずこの子を守るわ。だから協力してください。安美さん、あなたはメグといっしょに何度かジャンプしたことある。すごく疲れたはず。ふつうのひとが時空を超えて飛ぶのは、地球の裏側へ旅するよりエネルギーを消耗する。ごく短いジャンプでさえそうなのに、行方不明者たちは、かれこれ一ヶ月か、もしかしたら一年近くあちらへとどまっています。それがどれほど彼らの命を削っているか、想像できるでしょう?」
 シーラは椅子からたちあがり、両手をゆるく安美さんに差し出しました。安美さんはメグを抱えたまま、シーラからこどもを遠ざけるように後退りしました。
「あなたの言葉なんか信じられるもんですか」
 安美さんが語調険しく言い返し、タイジはおろおろと、
「ふたりとも、落ち着いてください。安美さん、シーラさんは信頼できるひとですよ。て言っても、いきなしは無理かもしんないけれど、彼女若いのに、これまで何人もの人間や、この世の迷い霊を鎮めて救ってます。今まで何人もの霊能者が、シーラさんをパートナーにしたいって打診してきたのに、彼女承知しなかった。話を聞いてて、ぼくがびっくりしたのは、メグさんにシーラさんがアプローチしたってことですよ。初めてじゃないスか」
「そんなこと、どうでもいいの」
 安美さんは泣き出したい気持ちでした。
「あたし、この子に何事もなく平和に暮らしてほしいだけよ」
 と安美さんが髪をふりみだしていやいやをしたとき、
 ママぁ。
 小さく叫ぶ声が聞こえました。え、と安美さんは腕のなかのわが子を見つめました。、メグは大人たちの騒ぎをよそに、安美さんの胸にもたれて眼を閉じて、すやすやと眠っているではありませんか。
「メグ? あなた、どうしたの?」
 一瞬あっけにとられた安美さんに、瞼をとじたまま、メグはうっすらと微笑み、もういちど
「ママぁ、ここどこ」
 とはっきりと言いました。寝言ではなく、ちゃんと発音されたメグの言葉は、メグのいつもの声とはちがうものでした。
「お母さぁん、ぼくどこにいるの?」
 またメグは、さっきと違った声で言いました。安美さんは顔色を変えて、
「メグ、どうしたの。眼をあけて、眼をさまして」
「憑依よ。安美さん」  
 シーラは人形のようにぐったりと眠り込んだメグの顔を覗き込みました。
「何かが来ている。始まった、始まるわ」
「そんな!」
 シーラは安美さんの動揺を静めようと、安美さんの腕をつかみ、もうかたほうの手でメグの手をとりました。
 その瞬間バチッと部屋じゅうに青白い稲妻が走り、タイジにさえそれが見え、絶句した彼はあたかも落雷に感電したようにスチール椅子ごと後ろ向きに倒れてしまいました。
「わっ」か「う」か形容しがたい声を残してタイジは床にひっくりかえり、部屋中をつきぬける真っ青な光線に数瞬痙攣したあと、気絶してしまいました。
 シーラの黒髪はざわっと逆立ち、足元から突風のような逆光が這い上がり、いきなり〈記憶〉の電源が入りました。

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